尖閣諸島を虎視眈々とねらう中国と
弱腰のアメリカ

 中国でも同じことが起きている。鄧小平は一九八四年、中国政府はイギリスからの返還後も五〇年間は香港の自由を尊重し、台湾との再統一が「一〇〇年以内に実現しなくても、一〇〇〇年以内には実現する」と誓った。

 しかし鄧の戦略的忍耐ドクトリンとも呼ぶべきものは、一九九七年の鄧の死とともに死んだ。その後継者である胡錦濤は、二〇一一年一二月の中央軍事委員会で、中国海軍は「変革と近代化を断固として加速させ、戦闘への備えを拡大させるべきだ」と語った。

 誰に対しての戦闘か。それは「みんな」のようだ。それから一年のうちに中国は初の空母を就航させ、ベトナム、フィリピン、インドネシア、日本にケンカをふっかけた。オバマ政権は二〇一二年九月、中国が領有権を主張する尖閣諸島が攻撃された場合、アメリカは日米安全保障条約に基づき日本を防衛するとの立場を明らかにした。

 その翌年の一二月、中国海軍の艦艇が南シナ海でアメリカ海軍の巡洋艦カウペンス(一〇億ドルのイージス艦だ)の前方にまわり込み、あやうく衝突しそうになった。

 同時に中国は、アフリカ、中南米、東南アジアの従順そうな資源国に低金利融資や開発援助をちらつかせて接近するグローバル戦略を進めた。ベネズエラだけでも、二〇〇八年以降三六〇億ドルが中国から流れ込んだ。おかげで、とうの昔に財政破綻していたはずのベネズエラ政府は、莫大な対外債務を返済することができた。

 イラン、ロシア、中国の政策当局者たちは、アメリカはアメリカ本土が攻撃されたのでない限り武力行使には踏み切らないと見越して、ますます大胆な行動に出ている。

 イランやロシアや中国の行動がどこまで大胆になれば、アメリカ大統領は重い腰を上げるのか。修正主義の国々は、どうすれば国際的な規範を尊重することを学ぶのか。アメリカは説得と道徳的な模範を示すだけで、世界秩序を強制できるのか。アメリカの武力行使に対する消極的な姿勢は、どこまでいくと敵の攻撃を促すことになるのか。

 そしておそらく最も重要なことは、アメリカの消極性はどの時点で同盟国の戦略を変え始めるのか。