流通側がビジネスとしてメディアを運営している以上、富をもたらしてくれる生産メディアを優遇するのは自然です。生産側も流通に富をもたらしてくれる記事を配信することは、両者にとって願ったりかなったりという側面があることは否定できません。

 しかし、流通側からは違う景色が見えているようです。このあたりの事情の複雑さは、今年1月に東京都内で開かれた「ジャーナリズム・イノベーション・アワード」のパネルディスカッションに垣間見ることができます。スマートニュース執行役員の藤村厚夫さんは、「消費者とブランドがエンゲージメントを重ねて理解と信頼を作っていく、という議論が最近のメディアのコンテンツを作る側に無くなってきている」と手厳しい指摘をされています。

 そうすると、生産側は「信頼を作るために、どんなニュースだったら大きく扱ってくれるのか?」という質問を流通側に迫るわけですが、藤村さんは「結局、『スマートニュースって○○を沢山取れば載るんですよね』という話が出てきてしまうので、実はアルゴリズムの中を構成している要素を説明しにくくなってきている。そういうことを言えばいうほど、『じゃあそれを集めればいいんですよね』という話になるんですよ」と苦しい胸の内を明かします。

 しかし、(紙はともかく)インターネットを舞台としたニュース業界では、「マスを相手にしたニュースはどこに向かうべきなのか?」「どういった記事が世に問うに値する良質な記事なのか?」といった議論は、生産側からも流通側からも、ほとんど沸き起こってきません。

 なぜなのでしょうか? 歯に衣着せぬ発言で知られるKADOKAWA・DWANGOの会長、川上量生さんは「コンテンツをつくらない企業がやっているプラットフォームでは、コンテンツは単なるプロモーション材料に堕落する」としたうえで、こう指摘します。「もともとIT業界っていうのは、資本も人もないところで、するっとうまくやろうとして集まった人ばかりだから」(『ニコニコ哲学-川上量生の胸のうち』日経BP社)。

 ニワトリが先かタマゴが先かの議論のようですが、このような“負のスパイラル”によって日本のメディアのレベルが低下していくことが危惧されているのです。