18世紀までさかのぼって考えてみよう。フランス革命(1789年)のあと、革命をつぶそうとするヨーロッパの各王国に対し、ナポレオンが反撃してドイツ、オーストリア、イタリア、ロシアまで攻め込むよね。その過程でフランスの啓蒙思想がドイツ圏にも広がります。
啓蒙思想を簡単に説明すると、因習や宗教的な感覚から離れた科学的方法論であり、理性の優位性を強調する思想です。数理的な手法を取り入れる新古典派の下地は十分にあったというべきでしょう。数学の先進国は英国、フランス、ドイツです。
受講者 すると啓蒙思想の科学的な考え方が広がり、新古典派経済学の登場もドイツ圏、英国、フランスと同時だったわけですね。
そう。ほぼ同時。しかもドイツ帝国の成立とも同時、1871年のことでした。3ヵ国の3人の経済学者が同じ主題の論文を発表します。これは後年、限界革命と名付けられました。名付け親はJ・M・ケインズの弟子J・R・ヒックスでした。3人が発表した限界効用理論については次回説明します。