前回まで古典派経済学について紹介してきました。古典派の思想とは逆行するかのように発生した現実の問題に対応するため、ほぼ同時期に生まれたのがマルクス経済学と新古典派経済学です。まず今回は、マルクス経済学について生まれた背景とともに説明していきます。
自由主義・保守主義の政治思想と結ぶ古典派経済学の時代が、18世紀後半から19世紀後半まで約100年間続いたという話をしてきました。
受講者 100年で古典派経済学は広く普及したんですか。
普及したと言っても実は英国が中心で、ドイツ語圏はまったく違う状況でした。その背景から説明していくね。
古典派経済学は、当時の世界経済の覇権国家である英国で誕生したんでしたよね。政治思想の自由主義と一体の関係であると説明しました。
古典派の世界観では、市民社会の自由と自由貿易が国家と国民の富を増やすわけだから、ヨーロッパは平和に繁栄してよいはずなのに、実際は戦争が続きました。19世紀中葉は産業革命と市民革命でたしかに経済成長したけれど、海外植民地の争奪戦が激化していたのです。
各国とも軍事費が増大します。また貧富の差が拡大し、対応するためにも財政危機が進みました。小さな政府ではなく、大きな政府になっている。古典派経済学とは逆行する現実があったわけだね。このころ、マルクス経済学と新古典派経済学がほぼ同時期に生まれます。今回はまず、マルクス経済学が生まれた背景を整理していきます。
民族独立・王制打倒をめざす革命運動が激化
19世紀中葉の強国は、英国、フランス、オーストリア(ハプスブルク帝国)、ロシア、プロイセンといったところで、オスマン帝国も東欧や北アフリカに領土を広げていました。
各国とも軍事費が増大し、小さな政府ではなく、大きな政府になっている。貧富の差は拡大し、対応するためにも財政危機が進みました。古典派経済学とは逆行する現実があったわけだね。
19世紀から20世紀にかけて、世界には8つの帝国が存在し、勢力圏を争いました。8つの帝国の始まりと終わりを挙げておきましょう。古い順ね。
・オスマン帝国(1299-1922):帝国崩壊後、一部はトルコ共和国に
・大英帝国(16世紀-):第2次大戦後に植民地の多くは独立
・オーストリア帝国(ハプスブルク帝国)(1526-1918):オーストリア革命で王政から共和政へ
・ロシア帝国(1721-1917):ロシア革命で王政から共産党独裁国家(1991年にソ連崩壊)
・アメリカ(1776-):第2次大戦後に植民地の多くは独立
・フランス(1789-):仏革命後は共和政、帝政、王政、第2共和政、第2帝政、第3共和政、第2次大戦後第4共和政、ドゴール第5共和政と変遷。第2次大戦後に植民地の多くは独立
・日本(1868-1956):第2次大戦後に帝国憲法から日本国憲法へ、植民地は解放される
・ドイツ帝国(1871-1918):ドイツ革命で王政から共和政へ(1933年から45年までナチス独裁)
このうち、第1次大戦時(1914-18)のヨーロッパの5大帝国はオスマン、英国、オーストリア、ロシア、ドイツです。自由貿易どころか、勢力圏を軍事力で支配する帝国主義の時代だったわけです。