前回はアダム・スミスを始祖とする古典派経済学の理論と、それが生まれた背景について説明しました。続いて今回は、スミス後に古典派経済学を牽引した3人の経済学者と、古典派経済学の想定と真逆に進んだ当時の経済社会の実態を紹介していきます。
前回説明した古典派経済学の命題を、ここで改めてまとめておきましょう。
●資本主義は、長期的には何があっても安定する
●市場経済の前提は人びとの「共感」と「利己心」
●「富=価値」は投下される労働によって生まれる(労働価値説)
これを出発点として古典派経済学が発達し、100年後に新古典派へ継承され、市場の分析や価格の研究が進みます。これが現代のミクロ経済学です。ミクロ経済学を価格理論と呼ぶことがあるのはそのためです。
新古典派へ進む前に、100年間続いた古典派経済学の時代で重要な人物を3人紹介しておきます。アダム・スミスの次の世代の経済学者です。私たちが生活し、仕事をするうえでも重要な発見をした人物です。
受講者 アダム・スミスの影響を受けた英国の経済学者たちですね。
まず2人。デヴィッド・リカード(1772-1823)とロバート・マルサス(1766-1834)です。2人は友人であるとともに論敵で、ことこどく対立します。
穀物法廃止をめぐる有名な論争を紹介しましょう。
穀物法とは、ナポレオン戦争が終結した1815年に英国議会が施行した、穀物輸入を制限する法律のことです。『国富論』でアダム・スミスが重商主義政策を批判したからといって、現実には自由貿易論が支配的になったわけではありませんでした。
貴族(地主)は、自分たちの利益を保持するため、穀物の価格を高値で維持しようと議会に小麦の輸入制限を訴えました。貴族(地主)が議会の多数派だったので、この法案は可決されます。
しかし、産業資本家はこれに反対し、穀物法の廃止を求め続けます。資本家が穀物法廃止を望んだ理由は、小麦の価格が上がれば食費が高くなるため、労働者の賃金を上げなければならず、賃金を上げれば資本家の利益が減ることになるからです。
受講者 英国の資本家は労働者の食費を心配していたのですか。賃金を上げなければいいのでは。
当時の英国では、労働者の賃金は食べていけるギリギリの額に設定されていたのです。まだ最低賃金制度も8時間労働時間制もなかったんですよ。しぼれるだけしぼっていたので、小麦価格が上がれば賃金もスライドして上げざるをえなかった。労働者からみると、賃金引き上げを図る仕組みはないので、食費が上がることには反対するよね。こうして産業資本家・労働者連合となりました。
穀物法成立後も、産業資本家・労働者連合は一致して反対運動を続けたことで、1846年に穀物法は廃止に追い込まれ、英国は自由貿易政策へと舵を切ることになったのです。
この過程でマルサスとリカードが論争しました。