キットカットは受験生のストレスを癒やすお守りになる。このことを静かに全国に広めていくために、あの手この手の手法が繰り出されます。その際、絶対に守るべきルールを作りました。「テレビコマーシャルなどで、『キットカットはきっと勝つ』などという広告を流さないというルール」(131ページ)です。さらに、年間30億円ものおカネをつぎ込んでいたテレビコマーシャルも中止してしまいます。

 代わって実行されたマーケティングのなかで、ユニークなものを1つだけ紹介しましょう。東京の2ヵ所の大学の試験会場に人を派遣し、キャンパスのゴミ箱にキットカットの空き箱を入れるというものです。受験生がゴミ箱を見ると、何やら赤い箱がたくさん捨ててあります。あの噂は本当だったんだと、「キットカットお守り説」がネット上で広がりました。その他、予備校、ホテル、JR東日本、郵便局などとの提携し、次々とマーケティングが展開されます。成功したものもあれば、思うような成果が上がらなかったものもありますが、結果、キットカットはグリコの「ポッキー」を抜き、万年2位の地位を抜け出して首位の座を射止めることになります。「業界の大きな流れをつくったという意味でも、ゲームのルールを変える取り組みだった」(142ページ)と言えるでしょう。

 もうひとつ大ヒットとなったのが、「ネスカフェアンバサダー」。こちらは「ネスカフェゴールドブレンドバリスタ」という家庭用コーヒーマシンを、無料でオフィスに置いてもらうという仕組みです。こちらはハメル言うところの「ビジネスモデルのイノベーション」と「人に関するマネジメント・イノベーション」に当たります。人事評価では優秀とは言えない50人を集めたチームでプロジェクトがスタート。こちらもマーケティングの参考になるエピソードに満ちています。

祖国には戻れない
ネスレのエリート社員

 高岡氏はネスレ生え抜きの日本人として、初めてネスレ日本の代表取締役兼CEOに就任します。実は彼は、自分は日本の社長にはなれないとあきらめていました。なぜなら、ネスレの中でも地位の高いネスレ日本の社長は、ネスレ本社の役員がなるものだからです。役員になるためにはインターナショナルスタッフの資格が必要なのですが、高岡氏は家庭の事情によってその道を選んでいませんでした。

 ネスレのインターナショナルスタッフは「世界35万人の従業員のうち、わずか500~600人しかいない、エリート中のエリート」(4ページ)です。このインターナショナルスタッフの育成方法がすさまじいのです。ネスレに入社すると、1~2年の短期海外勤務を何ヵ所か経験します。そして5~6年経過すると、海外勤務の実績をスイス本社で審査され、インターナショナルスタッフの権利を手にすることができます。

 すごいのはそこから。インターナショナルスタッフになると、退職するまで母国に戻れないのです。「もし祖国に戻りたければ、インターナショナルスタッフの地位を放棄する必要がある。そこまで徹底的にグローバル人材を作り上げるのが、ネスレという企業グループの理念」(5ページ)なのです。

 日本企業はそこまで徹底できないと思う向きも多いかもしれません。ですが、実はネスレ日本は1913年に創業した1世紀企業であり、外資系でありながら終身雇用という日本的経営を維持しています。その中で、日本的経営の革新にトライし続けているのです。

 氏の次のエピソードが印象的です。若い頃、旅行にすら行ったことのないアメリカに勤務していた頃のこと。ミーティングの後に上司に呼ばれ「英語がうまくないのはまったく問題じゃない。でも、『Silent is stupid』だ。なにも意見を言わない姿勢は間違っている」(107ページ)と叱責されます。

「言葉が通じないがゆえに、相手の考えていることを知りたがるとも言える。本音と本音のぶつかり合いの中から、何かを生みだそうとするのが普通の感覚なのだ。(中略)一方、日本はどうだろう。バブル崩壊から20年も経っているのに、何も変わっていない。何度も繰り返すが、決定的な要因はダイバーシティが欠けていることだ」(107~108ページ)。

 今やダイバーシティは政府の政策でも、企業経営でも流行り言葉のようになっていますが、実をともなったダイバーシティこそが、日本的経営の革新に求められていることを示唆しています。