2520億円にリアリティを持てるか?
問題は本当に金額なのか

 金額の議論のむなしさをいち早く察していたと思われるのが、作家の平野啓一郎氏である。彼は7月6日のツイートで、<新国立競技場の異様なところは、どんな反対があっても、これは絶対に作るべき価値のある建物なんだと情熱をもって語る人が、責任者に誰もいないこと。(以下略)>と述べた。

 少し曲解を交えて解釈すれば、誰かが命がけで必要性と価値を訴えた結果、その考えに共感できたとしたら、2520億円という巨費も、それを受け継ぐ後世の日本人に納得してもらえるかもしれない――。確かに「そういう視点もあったのか」と気づかされる慧眼である。

 世界の歴史を振り返ってみれば、ピラミッドから東大寺や平安京、独裁政権下のドイツやイタリアで試みられた都市建設、パリのシャンゼリゼ通りと凱旋門など、ケタ違いの投資が後々の世まで都市の財産になっていった事例には事欠かない。

 近代以降の日本でも、巨大投資の事例はある。関東大震災後の都市整備はその典型例だ。

 1923年に発生した関東大震災で首都東京は灰燼に帰した。時の内務大臣・後藤新平は「この復興はいたずらに一都市の形体回復の問題に非ずして、実に帝国の発展、国民生活改善の根基を形成するにあり」として、当時のカネで50億円(現在の価値に換算して約15兆円)を使い、被災した土地をすべて買い上げ、都市開発をするという大胆な構想から復興をスタートさせた。

 予算の策定から権利を主張する地主との対立まで、さまざまな紆余曲折があり、最終的には予算は5億7500万円での都市基盤整備となったが、そのおかげで現在の内堀通りや靖国通り、昭和通りなど、今に続く主要な街路、隅田川に掛かる橋、隅田公園などのオープンスペース、上下水道とガス等の基盤や土地区画などを整備。今の東京の骨格ができ上がった。

 復興の陣頭指揮を執った東京市長・永田秀次郎は次のように市民に呼びかけている。

<我々はいかなる努力をしても、再びかような苦しい目には遭いたくはない。また我々の子孫をしていかにしても、我々と同じような苦しみを受けさせたくはない。これがためには我々は少なくともこの際において道路橋梁を拡築し、防火地帯を作り、街路区画を整理せなければならぬ。

 もし万一にも我々が今日目前の些細な面倒を厭って、町並や道路をこのままに打ち棄てて置くならば、我々十万の同胞はまったく犬死したこととなります。我々は何としてもこの際、禍を転じて福となし、再びこの災厄を受けない工夫をせなければならぬ、これが今回生き残った我々市民の当然の責任であります。後世子孫に対する我々の当然の義務であります。>(中公新書『復興計画 – 幕末・明治の大火から阪神・淡路大震災まで 』より)

 こうした言葉を絞り出し、体を張って進める勇気をもった政治家や建築家が、新国立の2520億円騒動にいただろうか。新国立競技場の価値の議論ができないのであれば、話はやっぱりカネの多寡に戻ってくる。ここで2520億円をどう捉えたらよかったのか、考えるための材料を探してみよう。