虫の目、鳥の目とはどういうことでしょうか? JR東日本やトヨタ自動車のイノベーションからイメージしてみましょう。新刊『なぜ「エリート社員」がリーダーになると、イノベーションは失敗するのか』から、抜粋してお送りします。
駅の存在価値を、従来の輸送に伴う通過点から、集う場所というコンセプトに変えて、JR東日本の事業イノベーションとも言えるステーション・ルネッサンス活動は始まりました。それは虫の目で鉄道事業を見直した結果、見えてきた世界と言うこともできます。
駅構内につくられたショッピングゾーン〈エキュート〉。今では各地の駅につくられ、すっかりお馴染みの商業施設となりました。集う駅に必要なものは何かを考えるために、エキュートの開発者であった鎌田由美子氏は、大宮駅で始発から終電まで、3日3晩立ち通して乗降客の様子を観察しました。鎌田氏は百貨店への出向経験が豊富で、JR東日本では珍しい人材です。
そこで発見したのが、百貨店と違って、お客様が立ち止まらないというショッキングな事実です。これがまさに、虫の目で現地・現物・現場・現実を観察し続けたからこそ得られた知見でした。
事業コンセプトや実際のサービスを考えるときには、現場での手触り感を重視して具象に徹する。エキュートは、虫の目があって初めて成しえたイノベーションなのです。
トヨタ自動車の未来プロジェクト室にいる大塚友美氏の仕事は、抽象度を上げたり下げたりすることの繰り返しです。組織のミッションは「モビリティの未来を考えること」であり、自動車に限った話ではありません。自動車メーカーのトヨタ自動車にとっては、かなり大胆な定義です。そこにあったのは、今後、既存の延長線上にないまったく異質な課題が自動車業界を見舞うのではないか、という危機感でした。そこで、自社の対抗軸を考えるような組織をつくったのです。
未来プロジェクト室では、モビリティの未来をさまざまな関係者と検討して仮説を立て、実現に向けたプロトタイピングが日々行われています。自己肯定と自己否定の連鎖です。世界有数の自動車会社が、未来のモビリティを真剣に創り出そうとしている。しかも、本社がある豊田市から遠く離れた原宿にわざわざ出先をつくり、実行している。それは、自動車というモノではなく、モビリティというコト探しを目的とし、鳥の目で考えようとする試みです。
JR東日本のエキュート開発と、トヨタ自動車の未来プロジェクト室に共通しているのは、既存事業を虫の目、または鳥の目で見ながら、その再定義を行っていることです。
イノベーションの多くは、既存事業の根本価値を問い直すことから生まれます。そのためには、鳥の目と虫の目を駆使し、抽象と具体の間を行き来しながら本質に迫ることが重要です。そうすることで、自社の事業が過去から現在に至る時間軸上で問題を把握することができます。そのことが、現在から未来を創り出すイノベーションに結び付くのです。
このようなイノベーション作法は、ほかにもあります。目的・目標・手段を分けて考えるやり方。比喩や暗喩、ペルソナ化のようなコミュニケーション技術を活用するもの。デザインシンキングやエスノグラフィーといった思考法も、価値を磨き、再認識するためには有効です。イノベーターはこのような知の作法を駆使して本質に迫るべきでしょう。