プロコル・ハルムの「青い影」は、いわゆる「G線上のアリア」(管弦楽組曲第3番ニ長調の第2曲“エア”の俗称。写真はカール・リヒター盤)と基本的に同じコード進行です。あるいは、カンタータ第140番「目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声」のコピーともいえます。そして、「青い影」こそ、クラシックピアノを習っていた高校生の荒井由実がポップ、ロックに目覚める直接のきっかけです。「ひこうき雲」は「青い影」の影響は顕著ですが、そもそもはバッハにその源があるのです。 

 ポール・サイモンの「ひとりごと」収録の“アメリカの歌”の旋律は「マタイ受難曲」(写真はグスタフ・レオンハルト盤)第1部のオリーブ山の場面で歌われるコラール“われはここなる汝の身許に留まらん”をほぼそのまま使用しています。 

 

 バッハと言えば、ジャック・ルーシェを忘れてはいけません。1934年フランス・アンジュの出身。16歳でパリ国立音楽院に入った俊英は、バッハの虜になります。彼が特別だったのは、バッハの音楽の核にジャズと共通の自由と開放性を直感したことです。ベースとドラムを従えたピアノトリオでバッハの平均率クラヴィーアをジャズ的に表現します。25歳の時に「プレイ・バッハ#1」(写真)を発表。以後、膨大な録音を残します。

音楽的事件だったベートーヴェンの登場

 ベートーヴェンは、モーツァルトが逝った翌1792年にウイーンに移住しますが、最初は全くの無名。楽都ウィーンで名を成すのは万に1つの大変難しいことでした。スーパースターを夢見てニューヨークやハリウッドに行く若者と何も変わるとこはありません。さて、若く無名のベートーヴェンが頭角を現したのは、当時のウィーンで、与えられた主題に即興で変奏するピアノのコンテストでした。ベートーヴェンはここで、驚異的なピアノの技量を見せつけ『悪魔の指を持つ男』とまで言われ、登りつめるのです。18世紀末から19世紀前半にかけて、ベートーヴェンは当時最大の音楽的事件だったのです。

 20世紀最大の音楽的事件だったのがビートルズでした。「リボルバー」(写真)はビートルズがアイドル・ポップ・グループから真の音楽集団へと脱皮した重要音盤です。その2曲目の“エリナー・リグビー”は、ポール・マッカートニーが書いた詩にジョン・レノンが手を入れて、曲はポールがピアノを弾きながら作りました。いつものようにポールはプロデューサーのジョージ・マーティンにギターの弾き語りで聴かせます。マーティンは即座に弦楽四重奏で伴奏することを提案します。完成ヴァージョンは非の打ち所なき完璧な楽曲です。その最大のポイントは哀愁の旋律と絶妙にマッチした弦楽四重奏にあります。実は、この弦楽四重奏の響きこそベートーヴェンが創り上げたものです。