筆者は、国会外でのデモのような「大衆闘争」を否定するつもりはない。議会制民主主義と本来矛盾するものでもないと考える。しかし、議会制民主主義における大衆闘争は「国権の最高機関」である議会の補完機能として位置づけられるべきである。大衆闘争は、政権与党の問題点を厳しく批判し、次の選挙を通じて合法的に政権交代を起こすためのものだ。

 国会の外で「戦争は嫌だ」「命を守れ」「戦争法案絶対反対」「今すぐ廃案」と単純に叫ぶだけで、そのリーダーがテレビ出演して、司会者から少し突っ込まれたら答えられず「これから勉強する」としか言えないような運動が、非常に充実した論戦を行っていた国会に対して「国会だけが民主主義じゃない」「選挙だけが民主主義じゃない」などと言うのは、いささか調子に乗りすぎではないかと強く批判したい。

 大衆闘争が、議会制民主主義の補完機能を超える時、いったい何をするだろうか。それは、歴史的に見れば、傷害、放火、器物損壊などを伴う大規模な「暴力」である。そんなことにはならないと言うかもしれないが、それでは暴力なしで何ができるのか。何を根拠に「暴力にはならない」と言い切れるのだろうか。大衆運動が暴力となり、大衆自らが選んだはずの国会を制圧し、引きずりまわすという事態になるならば、断じて許されることではない。

与党は「60年安保」を徹底的に研究
反対派が次の選挙に向けて歩む茨の道

 それでは、安保法制反対派が、次の参院選・衆院選での勝利によって安保法制の廃棄を目指すという、議会制民主主義の常道に戻るとすれば、どうだろうか。

 正直に言って、この先反対派には茨の道が待っているだろう。安倍政権は、安保法制成立後、「アベノミクス」に集中するとしている。「60年安保」を徹底的に研究しているのだろう。安保改定が成立し、岸信介政権が退陣した5ヵ月後、池田勇人政権は「寛容と忍耐」「国民所得倍増」を打ち出して、選挙に圧勝した。この前例に倣おうとしている。一方、反対派は「60年安保とは違う」というが、アベノミクスに対する国民の「消極的支持」を甘く見すぎていないだろうか。

 アベノミクスにいろいろな問題点があるのは明らかだ。だが、それが「失われた20年」の長期経済停滞に苦しむ国民に一息つかせたという事実は侮れない。国民は、長年のデフレとの戦いに疲弊し切っており、なによりもまず、そこから解放されたがっている。経営者も現場も、アベノミクスを簡単に否定しがたい心情があり、それが国政選挙での安倍自民党の3連勝につながってきた(第109回〈下〉・2p)。

 端的に言えば、経済の切実さに比べて、安保法制に対して「今すぐ戦争になる」という切実感はない。しかし、野党に、アベノミクスに代わる魅力的な経済政策はない。今のまま選挙をやれば、またもや安倍政権が「まだマシ」という消極的支持を受けることになるだろう。