「民営化」が始まるきっかけになり
世界中で大ベストセラーに
ドラッカーは知識社会の到来を誰よりも早く論じ、「知識労働者」という造語を生み出しました。米国・ソビエト連邦による東西冷戦構造の終結や先進諸国の人口減少にともなう高齢化社会の到来を予想し、経済のグローバル化も予言していました。さらには「民営化」という造語が世界中に広まるきっかけになった政府現業部門「再民間化」構想を発表したのも、本書においてでした。
企業はこれまでの三〇年間、今日の政府が直面している問題すなわち統治と実行の両立に取り組んできた。その結果アメリカの企業の経営陣は、この両者を分離し、特にトップの機関すなわち意思決定者を実行から分離させなければならないことを学んだ。さもなければ、決定はされず、実行もされない。企業ではこれを分権化と呼んだ。
もちろんこの言葉は誤解されやすい。トップマネジメントの弱体化を意味しかねない。だが構造と秩序の原理としての分権化の目的は、トップマネジメントを強化し、トップとしての仕事を行えるようにすることにある。実行はそれぞれの使命と目的をもつ現場のマネジメントに任せ、中央のトップが意思決定と全体の方向づけに集中できるようにすることにある。
国にこの教訓を適用するならば、実行の任にあたるものは、まさに政府以外の組織でなければならない。(239ページ)
手を広げすぎて疲れはて、弛緩して不能となった政府という中年疲れに元気を取り戻させるために行うべきことは、社会のための仕事の実行の部分を再民間化することである。(241ページ)
もっとも、ドラッカーのこの民営化提案に関しては、およそあらゆる学者が無視を決め込んだそうです。政治家も官僚も同様でした。それもそのはずで、政財官界は鉄の結束力を誇っており、政府に物申すことなど誰にもできなかったからです。
実際、米国のリチャード・ニクソン大統領は、演説で“The Age of Discontinuity”の内容に言及しながら、「ドラッカー教授によれば、政府にできることは戦争の遂行と通貨の増発だけだそうだが、それが間違いであることを証明してみせる」と豪語したそうです。
ところが、この民営化提案をマニュフェストに掲げる世界でたった一つの政党が現われました。“鉄の女”マーガレット・サッチャー率いる英国の保守党です。サッチャー政権が推し進めた政治改革「サッチャリズム」は、ドラッカーの提案を活かしながら、国家の再生を確実なものにしていったのです。結果、政策の基本としての民営化が一挙に広まり、ドナルド・レーガン米大統領が採用した自由主義経済政策「レーガノミクス」にも影響を及ぼしたとも言われています。わが国でも中曽根内閣の政治改革の一環で日本国有鉄道が分割民営化され、JRが発足しました。
いずれにせよ、先進社会を襲い始めた地殻変動を、グローバル化の時代、多元化の時代、知識の時代、企業家の時代と捉え、警鐘を鳴らし続けたドラッカーの深い洞察力に、世界の指導者たちは畏敬の念を抱かずにはいられなかったでしょう。
後年、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載したドラッカーは、半生を振り返るなかでこう記しました。「一九六〇年代に入ると、『創造する経営者』や『経営者の条件』などのマネジメント本に加え、『断絶の時代』が思わぬところで評価されてベストセラーになった。この本で使った私の造語〈民営化〉が英国保守党の基本政策に織り込まれたからだ。これは後に、サッチャー政権で実行に移された」。
『断絶の時代』は邦訳出版元のダイヤモンド社にとって、空前のベストセラーになりました。日本だけでなく、米国でも欧州でも大ヒットを記録しました。「断絶」「大転換期」は今なお継続しており、かくて本書も売れ続けているのです。