2008年、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場するデロリアンを動かす「ごみを燃料に変える」技術の実現化に向けて一歩を踏み出した、「日本環境設計」社長、岩元美智彦氏。しかしその先に待ち受けていたのは、拒絶の嵐だった――。
技術だけでは事業は回らないと痛感した岩元氏の前に現れた、1人の救世主とは? 著書『「捨てない未来」はこのビジネスから生まれる』から、消費者と企業の両方がメリットを得る〈しくみ〉誕生の秘密を紐解く。

技術だけで事業は回らず

「うーん、綿からバイオエタノールを量産する技術を確立したと言われてもねぇ……」

 かねてからの夢を果たし、使わなくなった綿製品からバイオエタノールを量産する技術の実用化に目処が立った2008年の春頃から、私はあちこちを駆けずり回っていました。目的は、この技術を武器に、衣料品を回収してバイオエタノールを量産する事業モデルをつくること。その事業への協力を仰ぐため、さまざまな会社や官公庁を行脚していました。

 けれども、訪ねた先で掛けられる言葉は決まっていました。

「そんな話、聞いたことないですよ。バイオエタノールと言えば、トウモロコシとかサトウキビじゃないですか。それに、衣料品からバイオエタノールをつくるっていうお話は面白いですけど、事業面でお力になるのは難しいですね」

 後で知ったことですが、綿からバイオエタノールをつくる技術開発の試みは、本当に誰もやっておらず、まったくと言っていいほど見向きもされていなかったのです。そんな評価すらしづらい技術の開発に、いくら大阪大学との共同研究とはいえ、社員3人、資本金120万円のぽっと出のベンチャーが、ほんの数年研究に取り組んだだけで成功するわけがない。いわんや成功したとしてもそんなにたいしたことのない技術だ――。おそらくそう思われていたのでしょう。

 技術があっても、それを活かせる事業モデルをつくれなければ、宝の持ち腐れになってしまう。私の夢は、結局のところ夢のまま終わってしまう。幸先よく技術開発に成功したはずが、それを事業化する段になって、思わぬところでつまずきそうになっていました。

 私たちに何が足りないのかは、明白でした。技術を活かす、着なくなった衣料品の回収モデルです。

 しかしただひと言「集める」といっても、それを実現するためには、数多くのハードルがあります。消費者の意識から、企業や自治体の力添え、法律まで、極めて多くの領域にまたがる問題だからです。

 とくに大事なのが、企業の協力、そして消費者の参画の2点でした。集めるに当たって、「売る」側の企業と、それを「消費する」人を取り込めなければ、服は集まりません。

 そして、この2点を実現して事業化を成すために不可欠だったものこそ、〈しくみ〉〈ブランド〉でした。

 狙いは何となく絞れたとはいえ、この2つだけでも吹けば飛ぶようなベンチャー1つで何とかなる範囲をはるかに超えています。断られに断られる日々を送った当時の私は、実現へのハードルの高さを噛み締めていました。

 あれこれ考え、あちこち駆けずり回るうちに、私は1人の人物とめぐり会うことができました。

良品計画の金井政明氏(当時社長、現在は会長)――。

 金井さんとの出会いが、当社の大きな事業の柱の1つである衣料品のリサイクルプロジェクト「FUKU‐FUKU」が生まれるきっかけへとつながっていきました。