最盛期にはあらゆる大規模小売店の中で売上ナンバー1を誇っていたダイエー、それを一代で築き上げたこの人物も、とんでもないメモ魔として有名だった。とにかくいつでも何かを書き、何かを考えている人だったのである。
だから、中内さんの前でプレゼンや報告する人間は、とても大変な思いをしていた。こちらの話が終わるや否や、中内さんから次から次へと質問が飛んでくるからである。彼は膨大なメモをとりながら徹底的に考え、発表者には見えていない「先入観」や「思考の穴」に気づいてしまう。
だからこそ「なぜこの論点が発想からモレているのか?」という疑問が、どんどんと溢れてくるのだ。
こういう人が経営者をやっている組織はどうなるだろうか?
社内でちょっとしたプレゼンをするにしても、誰もがとことん考えるようになるだろう。
いい加減なことを報告していても、「あとは任せた。よきに計らえ」というようなわけには絶対いかない。だから、ダイエーという会社はある時期まで本当に「ものを考える組織」だったのだと思う。
ところが、おそらくどこかでたがが緩んだ。ある方いわく、中内さんは60歳前後のある時期からメモをとることを完全にやめてしまったという。以前のような鋭い質問もしなくなり、現場に任せることが多くなったそうだ。
もちろん、経営にはそうした側面も必要なのは否定できない。しかし中内さんの姿勢の変化は、当然のことながらダイエーの組織全体にも影響していった。こうしてダイエーという企業から「書く=考える」という文化が失われ、それが最終的に同社の凋落につながっていったのではないか。
もちろん、これが僕の推測にすぎないことは申し添えておこう。
天才ですら書かないと考えられない
発明王エジソンも、書くことによって考える人だった。彼は生涯3500冊のノートを書きつぶしたと言われる。つまり、彼は膨大に考えていたわけだ。
エジソンの有名な言葉「天才は1%のひらめきと99%の努力である(Genius is one percent inspiration, ninety-nine percent perspiration.)」は、実際には努力を称揚するものではなく、ひらめきの大切さを強調したものだと言われるが、それでもやはり彼の成果は「99%の努力=3500冊のノート」に支えられているのである。
エジソンですら、アイデアを顕在化させる(=考える)ためには、書かなければならなかった。ましてや凡人である僕たちが、書かずに考えることができるかというと、まずそんなことはありえないだろう。
企業研修の場などで「あなたは1日にどれくらいの時間を考えるのに使っていますか?」と質問すると、「えっと、だいたい5時間くらいですかね……」などと平気で答える人がいる。
あなたなら、どう答えるだろうか?