【鈴木】ええ。たとえば、近畿大学、明治大学、早稲田大学は11万人以上の受験生が受けるんです。一方、慶應大学の経済学部なんかだと小論文があったり、数学があったりする。もちろんこのほうがいいんですけど、慶應の受験生が一挙に減ってしまう。4万人くらいなんです。つまり、7万人に敬遠されるということは、ざっと見積もっても20億円の受験料収入を失うってことなんですよね。

【津田】なるほど。大学経営とも結びついた根深い問題ですね。

【鈴木】ただ、その犠牲になっているのは、学生たちですよ。そういう試験を出す大学を受けるかどうかで、受験生時代の勉強法が決定的に違ってくるんです。ここで詰め込み式の勉強に時間を奪われるのは本当にもったいない。覚えることが多すぎて歴史が嫌いになる人って、かなりいるんじゃないかな。

僕が灘高時代に「世界史」を習った誉田先生は「年号なんて覚えなくていい。東大は論述なので年号を忘れたら『18世紀半ば』とかかいておけばいい」とよく言っていました。「ただ、歴史というのは『Aという事件がBを引き起こして、Cという事件が起きる』というつながりなので、順番とか流れはつかんでないとあかん」と言われていましたね。

だから私はいまでも世界史が大好きなんですよ。歴史そのものを暗記ものだと思っていないですから。

「暗記型」人材の問題は
ビジネスの現場にも連なっている

【津田】当たり前のことかもしれませんが、ビジネス教育の現場にいても、「暗記型」人材の問題はずっと続いていると感じますね。フレームワークを覚えて満足している人だとか、そこに当てはめて答えを出している人だとか。

たとえば、プロダクトポートフォリオマネジメント(PPM)っていうビジネスフレームワークがあります。これはボストン コンサルティング グループ(BCG)がつくったものなんですけど、僕がBCGにいたときはそんなもの使ったことなかったし、同僚の誰かが使っているのも見たことがなかった。

なぜかというと、いまの環境に合わないので使えないんですよ。でも、PPMそのものは長らく「一人歩き」の状態が続いていて、なぜかいろんなところで「学び」の対象として言及されているわけです。

【鈴木】「考える」力がない人が、自分をカモフラージュするために、そういうもので武装した気分になっているという側面もありそうですね。

【津田】ええ(笑)。ところが、同じビジネススクールでも、ハーバードビジネススクールというのは逆で、「学ぶ」ためのレクチャーをやらないわけです。ケーススタディをとにかくやる。「考えろ、とにかく考えろ」というわけです。

これがなぜか日本に持ってくると、同じビジネススクールでも似て非なるもの、「お勉強」になってしまう。

【鈴木】ビジネススクールというのは「考えるための場」のはずなのに、「学ぶための場」にすり替えられてしまうわけですね。そこにはまさに大学入試の呪縛があるように思います。

【津田】そうなんですよ。前回、藤原和博さんと対談させていただいたとき、僕の本(『あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか』)を読んでくださって、「この本が3万部以上売れるんなら、日本も捨てたもんじゃないと思った」と言ってもらえたんです(笑)。
藤原さんなんかもやはり「暗記型人間」「マニュアル人間」が圧倒的に多いということを非常に危惧されているんですよね。

参考:
本当の頭のよさは「健全な腹黒さ」と「遊び」から生まれる
[藤原和博 × 津田久資「思考・読書」対談!!]

【鈴木】それは素晴らしい! そういう人の何よりもの問題点は、既存のルールを破壊できないことですよね。破壊的イノベーションを起こせない。霞が関の役人たちを見ていても、もどかしく感じることは多々ありますよ