しかし、現行憲法はそんなに厳しい要件を満たして成立したわけではなく、戦後のどさくさに紛れて、大日本帝国憲法の改正手続きに基づき「各議院の出席議員の三分の二以上の賛成」で成立しただけにすぎない。

 個人的には、成立時より厳しい改正規定をつけるのはフェアではないと思う。出席議員の三分の二の可決のみで成立させたのなら、せめて同じ要件で改正できなければおかしいのではないか。もし、厳しい改正要件を要求したいなら、それと同じ要件で成立されるべきである。

 憲法は聖書でもコーランでも不磨の大典でもない。憲法とは、国民が権力機構を縛るためのものであって、国民が信任して初めて意味がある。安保法制が憲法に反しているかどうかよりも、そもそも現行憲法が今を生きる日本人の信任を得ているかどうかの方が、はるかに重要な論点である。

 現行憲法をとにかく「変えろ」と主張するのも思考停止だが、盲目的に変えまいとするのもまた思考停止である。「憲法を変えろ」「憲法を守れ」と叫んでいる人の中で、何割の人が憲法を読んだことがあるのだろうか。

 この不都合な真実を次第に多くの人々が自覚し始めたことで、ついに憲法の賞味期限が切れようとしている。もし、憲法の信頼が失われば、後に残るのは混乱でしかない。今こそ、私たちの国の形の根幹を規定する憲法を承認すべく、憲法議論を本格的に始めるべきだ。

原発は本当に「安全」なのか?
「東京原発」を再考せよ

 さて、今年は原発再稼働の行方からも目が離せない。

 昨年、鹿児島県の川内原発が再稼働した。年末には周辺住民による大規模な防災訓練も行われた。そして、福井県の高浜原発の安全性をめぐって争われた裁判では「安全性に欠けるとはいえない」との判断が示され、年内中の再稼働が現実的なものとなった。

 果たして、原子力規制委員会の新規制基準は本当に「安心」できるものなのか。我々は再び安易に「専門家」の意見に流されてはいまいか。

 2004年公開の映画『東京原発』では、役所広司が演じる東京都知事が東京に原発を誘致しようと提唱する。物語の中では、原発の危険性や行政の無責任な態度をユーモラスに描いているが、今こそ「東京原発」を実際に検討してみてはどうか。

 最も電力を浪費しているのは東京都民だ。消費地に近いところで発電するのは合理的でもある。東京に原発が来れば、東京人がエネルギー政策を「自分事」として考えるようになり、原発の安全基準などにも厳しい目を注ぐだろう。