弊社でも、トランスジェンダーの当事者から「トイレの問題を解決してください」という声がありました。というのも、昨日まで男性だった方がある日を境に女性に変わったり、反対に女性だった方が男性に変わったり、という事態に心理的な抵抗のない人たち(直接、その人を知っている人たち)もいないわけではないのですが、やはり男性から女性に変わったケースに限れば、多くの女性(直接、その人を知らない人たち)から激しい抵抗があるからです。

 そこで、ビルの地下2階にある誰も行かないような場所に専用のトイレを用意したのですが、それでは当事者のほうが嫌がるという事情があり、ほとんど利用されていませんでした。そういう試行錯誤を経て、15年7月から始まった全社リノベーションのタイミングに合わせ、箱崎の本社オフィスでは全フロアに1カ所ずつ、計25カ所の「多目的トイレ」(誰でもトイレ)を設置しました。

いち早く取り組むことは
会社の売りになると判断

――そもそも下野さんは、LGBTの世界とは無縁の営業系幹部でした。どのような経緯で、LGBTの問題に関わることになったのですか。とりわけ、10年に副社長に就任してからは、技術・サービス部門を統括する会社のナンバー2であると同時に、畑違いのLGBT担当でもありました。

 最初は、会社からアサイン(指名)されたのです。日本に限らず、IBMには、企業として取り組む各種のテーマについて、自分のビジネスとは別に直接それに関与していない役員をエグゼクティブ・スポンサーとして任命する方針があります。そこで、人事担当の役員ではなかった私が、この問題を担当することになりました。きっかけは、04年に日本で開催された「全世界のLGBTリーダーを集めた社内カンファレンス」の準備でした。そこから、です。

 ただし、最初のうちはどうしてよいか分からず、日本のIBM社内にもいるはずのLGBT当事者とのコネクションもありませんでした。手探りの状態から始めて、社内の当事者と実際に会って話ができるようになるまでには数年間を要しました。なぜなら04年当時は、LGBT当事者であるとカミングアウトすることは非常にリスクが高かったからです。社内のコミュニティも、どこか“秘密結社”のようでしたので、まるで実態がつかめませんでした。

 当然ながら、プライバシーの秘密は絶対に守らなければなりません。例えば、直接顔を合わせての会合は開けなかったことから、(社内のイントラネットで告知し)就業時間外にLGBT当事者とのクローズドな電話会議の場を設定することにしました。これは、電話番号とパスワードを入れると会議に参加できる仕組みでしたが、困ったこともありました。最初は、このやり方しかなかったとはいえ、「本当に悩んでいる当事者が勇気を出して参加してくれているのか」「当事者ではない人が興味本位で参加しているのか」ということが、まったく判別できなかったのです。そのようなところから始めましたが、自分でも勉強を続けて少しずつ社内のLGBT当事者と信頼関係を築いていきました。