逆に、ウンウン唸りながら1ヵ月くらいかけてようやく読み終えた本って、「結局、なにが書いてあったんだっけ?」ということになったりしませんか?
この差はどこから生まれているのか?
「読書密度の違い」と「全体観の有無」だと思います。
長期間かけた熟読というのは、単位時間あたりの読書の密度が低いうえ、その本の全体像が見えづらくなりますから、非常に「薄い」読書体験しか提供しません。
これは、音楽を超スローで再生してしまうと、どんな音楽なのかよくわからなくなってしまうのに似ています。
それぞれの曲に固有のテンポがあるのと同じように、それぞれの本も適切なスピードで読まれることを求めているのです。
(第9回に続く 3/5公開予定)