計算機が神になる100年の物語
人工知能が今後私たちの仕事や暮らしにどのような影響をおよぼすか、どうすればわかるでしょうか。
短期的には、日々のニュースなどを通して、Googleのような企業や研究機関などでどのような開発が行われているかを情報収集することはできるでしょう。しかし、より長期的な変化を知るためには、今日起こっていることについて知るだけでは不十分です。
人工知能の現状については、さまざまな疑問があると思います。なぜ最近になって人工知能がこんなに実用的になってきたのか? なぜ大学や研究機関でなく、Googleのような営利企業が研究開発をリードしているのか? そもそもGoogleって検索の会社だったのに、なんで人工知能を開発してるんだろう?
これらを理解するためには、人工知能、そしてその双子のきょうだいであるコンピューターの歴史を紐解く必要があります。その中では、さまざまな開発者たちが、それぞれの信念、アイデアのもとに人工知能やパーソナルコンピューターなどの設計思想(アーキテクチャー)を作っていきます。その歴史を知ることで初めて、現在と未来の人工知能について理解することができます。
このような考えのもと、『人工知能は私たちを滅ぼすのか――計算機が神になる100年の物語』という本を執筆しました。
本書では、人工知能技術が世の中で広く利用されている2030年の世界を舞台に、大学生をしているマリという普通の女の子が、100年にわたる人工知能の開発の歴史を学んでいくという構成をとっています。
本書は二部からなっています。
第一部「コンピューターの創世記」においては、コンピューターと人工知能の両方の発案者でありながら、リンゴをかじって自殺するという悲劇の死を遂げたアラン・チューリングの物語に始まり、聖書の創世記になぞらえて禁断の果実がパーソナルコンピューターやスマートフォンとして結実していく様を描きます。
第二部「人工知能の黙示録」においては、聖書の黙示録を道しるべに、人工知能という「聖杯」を追い求めたアーサー王と円卓の騎士の物語、その結果2030年に実現している「神の国」、その先に訪れる私たち人類の存亡を分ける「最後の審判」について記しています。
この連載では、本書の内容をもとに、100年の物語のダイジェストをお伝えしていきます。
日本経済の危機
連載を始めるにあたって、私が本書を執筆する動機となった危機感について書いておきたいと思います。
私がこの文章を書いているMacBook Pro、日々使っているスマホ、インターネットやウェブといった基幹部品などのすべては、アメリカ西海岸のIT企業のものです。コンピューターと人工知能の歴史のほとんどで、シリコンバレーを中心としたアメリカの企業や大学などが舞台となっており、日本はほぼ蚊帳の外に置かれています。
そうこうしているうちに、半導体、パーソナルコンピューター、携帯電話など、かつては日本のメーカーが強かった製品でほとんどシェアが取れなくなりました。本書の執筆中にかつてそれらの製品で有名だった東芝の粉飾とシャープの経営再建がニュースとなり、日本の情報産業の凋落がますます進んでいます。
このままでは、人工知能技術についても、同じことが起こると考えます。そうなった場合に、自動車などのより広い産業が影響を受けます。その時に、日本の経済、産業、科学技術は、世界のトップランナーであり続けられるでしょうか。
私には主人公と同じ、2030年に大学を卒業する年の甥がいます。彼らに豊かで将来への希望のある社会を残すために、これまでの失敗を繰り返さないよう歴史に学ぶことが必要だと信じています。
(第2回に続く 3/18公開予定)