1.サウジ王家の崩壊リスク
中東の地政学リスクの代表格は、拙著『地政学リスク 歴史をつくり相場と経済を攪乱する震源の正体』で詳述したが、イスラエル、シリア、イラン、エジプトなどをめぐる政治的不安定性とISによる軍事展開である。
これに対して、最大の原油産出国であり治安が維持されているサウジアラビアは、米国のバックアップもあって政治的な安定性が保たれている。アラブの春が、サウジアラビアに飛び火することもなかった。中東が多くの火種を抱えているにもかかわらず微妙な均衡を維持し得ているのは、このサウジアラビアの中軸的存在によるところが大きい。
だが、サウジアラビアの「王国」としての存立基盤は決して盤石なものではない。現在、同国を取り巻く外部環境としてのリスク要因は、原油市場(価格低迷の長期化)と米国との関係変化、そしてイランとの対立(スンニ派とシーア派の対立)という3点である。
イランとの関係に関しては、2016年初頭にテロに関与したとしてサウジアラビアがシーア派宗教指導者らの死刑を執行したことで、猛反発したイランの群衆がテヘランのサウジアラビア大使館を襲撃する事件が起きた。サウジアラビアはイランとの国交断絶を宣言し、両国の対立が新たなステージに入った可能性は高い。そして欧米の対イラン経済制裁の解除でイランの経済力が高まれば、中東全体の政治経済的均衡が崩れることも想定される。
こうした不安定要素に加えて、国内にも潜在的な波乱要素があることは忘れてはなるまい。サウジアラビアが1932年に建国された際にサウード王家が主役となり得たのは、諸部族の抵抗を補助金というカネの力で懐柔したからである。原油が発見されてから、その統治方式はますます鮮明になっていった。現在、サウード王家を支えている国内構造は、石油関連収入からなる利益再配分のシステムとワッハーブ派の首長という力学である。
サルマン国王(1935〜)が示す次世代への道程は内外で評価されているようだが、王家の間では実子のサルマン副皇太子への人事に関して不満が鬱積しているとの見方もある。それは、同副皇太子に外交や軍事、エネルギーなどの重要な施策に関する権限が集中する傾向にあるからだ。
シリア問題に関するロシアとの会談やフランスとの原発建設に関する協議、イエメンへの介入政策の旗振り役など、サルマン副皇太子のプレゼンスに戸惑いや反発を覚える王族は少なくない、と英『エコノミスト』誌は指摘する。米『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙は同副皇太子がナーイフ皇太子を抑えて次期国王になる可能性を示唆しているが、それがサウード王家の内部抗争に火を付けることも想定される。
その際に最も懸念されるのが、原油価格の長期的下落による歳入減とそれに伴う既得利益の喪失であろう。再配分システムが機能しなくなれば、王家の正統性にも揺らぎが生じるかもしれず、サウジアラビアの内政が不安定化すれば、一気に中東の秩序を揺さぶることにもなりかねない。
それがどのような状況をもたらすのか筆者の想像の及ぶところではないが、同国が原油戦略を180度転換することもあり得るだろうし、ロシアや米国との関係が変化することもあるかもしれない。確実なのは、サウジアラビアの安定性を大前提として動いてきた国際資本市場が、こうした急展開に対して冷静な対応を採るのが容易でないことであろう。
したがって、サウジ内政に大きな変化が起きれば、まず株式市場において強烈な「リスクオフ」の売りが生じ、その結果として円買い、スイスフラン買い、金買いといった動きが加速する可能性がある。また、原油供給体制の不透明感から原油価格が急騰し、債券価格が急落(金利は急上昇)するといった波乱を通じて実体経済に悪影響を及ぼすことも想定されよう。