かくして、お金という共通の尺度を通じて、あらゆる取引が「1つの市場」に統合され、市場経済が生まれることになる。

この連載や『あれか、これか』の主眼は貨幣論や経済学の基本を伝えることにはないので、かなりざっくりとした解説ではあるが、ここでまず押さえていただきたいのは、ファイナンスは一貫して「金銭にしたらいくらになるか?」という金銭的価値を尺度にモノを考える学問だということだ。

芸術品の「文化的価値」だとか、レアグッズの「希少価値」だとか、世界遺産の「歴史的価値」も、すべて金銭的価値に還元できると考える。

それこそ、クレジットカードのCMで言われるような「プライスレス…お金で買えない価値がある」という世界はファイナンスには存在しない。

「すべてはカネで買える」と豪語するのがこの学問であり、ファイナンス理論ほど「現金な」考え方はないのである。

「WIN-WINの取引」?
そんなものはこの世にない

物々交換が面倒だったところに、お金という共通の尺度が登場して便利になった。一見めでたしめでたしだが、なかなかそういうわけにはいかない。だからこそファイナンスのような知識が必要になるのだ。

お金の誕生により、人の選択プロセスは、価値と価値との比較から、価格と価格の比較にシフトしてしまった。

そこから価格と価値の乖離がはじまったのである。

当然のことながら、売り手は「以前の価格よりも少しでも高く売ろう」と考えるし、買い手は「いまの価格よりも少しでも安く買おう」と考える。つまり、お互いに基準となる一定の価格を参照したうえで、現実の売買価格を検討するわけだ。

当たり前のことだ。「この取引は紛れもなく損だ」と思いながら、取引をする人はいない。取引が成立している以上、お互いにどこかの点で妥協しながらも、自分のほうが多少は得をしたと信じていることになる。

売り手は「(この前の客には1000円まで値切られてしまった。いまの客には1200円で売れたからよしとするか)」などと納得している。買い手のほうも「(これの定価は1500円だったけど、1200円まで値切れた。いい買い物をしたな)」などと思っている。

要するに、どちらも「(しめしめ、得をしたぞ)」と考えているわけだが、モノの「本当のあるべき価格」、すなわち価値は1つである以上、少なくともどちらか一方が判断を誤っているということになる。

世の中には無数の取引が現実に成立しているが、もしも両者が本当の価値を知ってしまえば、双方が満足する取引は成立しないことになる。あるべき価格が1つであれば、両者が同時に得したと感じることは理論的にあり得ないからだ。

価格だけの比較をしていては、お金に関する真っ当な意思決定ができないということは、すでに見たとおりだ。では、どうすれば適正な価格とそうでない価格を見分けることができるのだろうか? それについて次回の連載で見ていくことにしよう。