モノの価格とその本当の価値が等しいことはまずない。そもそもなぜこんなことが起きてしまうのだろうか? これに答えてくれるのが、ファイナンス理論だ。

年間500件以上の企業価値評価を手がけるファイナンスのプロ・野口真人氏の新著『あれか、これか――「本当の値打ち」を見抜くファイナンス理論入門』によれば、価格と価値には「ズレ」が必ずある以上、本当の意味で「WIN-WINな取引」などというものは存在しないのだという。

最新刊『あれか、これか』のなかから紹介していこう。

「わらしべ長者」に見る、
価格のシンプルな本質

前回は、ファイナンス的な思考の第一歩が、価格と価値とを分けて考え、価値の見極めに軸足を移すことだと解説した。僕たちは普段どうしても「価格と価格」を見比べて価値判断をしてしまうが、そこに大きなつまずきの元があるのだ。

実際、あるものの価格とその本当の価値が等しいことはまずない。現実世界の価格には、かなり恣意的ででたらめなものもある。「実際の価値よりも高い価格で買わせて、利益を上げる活動こそがビジネスにほかならない!」と言い切ってしまうのであれば、価値と価格にズレが存在するのは当然だ。

では、なぜ価格と価値にズレが生まれるのだろうか? すべての売り手がペテン師だからとは限らない。これをよく表すのが、日本の昔話「わらしべ長者」である。

ある貧乏な男が観音様から「このあと、最初に手に触れたものを持って旅に出ろ」とのお告げを受ける。石につまずいて転んだ拍子に、1本のわらしべ(ワラ)を手にした男は、お告げどおりそのわらしべを片手に旅に出る。顔のまわりをうるさく飛び回っていたアブを捕まえ、わらしべの先に結びつけて歩いていると、小さな子どもを連れた女から「子どもが泣き止まないので、そのわらしべとこのミカンと交換してください」との提案を受ける。

それを発端に次々と物々交換がはじまり、わらしべとミカンを、ミカンと反物を、反物と馬を、馬と屋敷を交換していくうちに、とうとう男は大きな屋敷の主になってしまう――そんな物語である。

世界中にも似たようなおとぎ話があるというから、「わらしべ長者」には価値に対する根本的な洞察があるということなのかもしれない。

この物語からわかるとおり、モノの価値は人や状況によって大きく異なる。男にとっては取るに足りないわらしべも、子どもをあやしていた母親にとっては、ミカンよりも価値があった。喉の渇きに苦しんでいた商人は、上等な反物と引き換えにしてでもミカンをほしがった。