坪井賢一
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坪井賢一

コラムニスト

1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。

第6回
連立政権は短命に終わる運命なのか55年体制以前の歴史に学ぶ“望ましい連立”の姿
坪井賢一
菅民主党・国民新党連立政権はこれからどうなるのだろう。1993年に始まる現代の連立政権時代では、小泉自民党・公明党連立政権以外、いずれも短命だ。今回は、55年体制以前の連立政権をひもときながら、あるべき“連立政権の姿”を探りたい。
連立政権は短命に終わる運命なのか55年体制以前の歴史に学ぶ“望ましい連立”の姿
第5回
リーマン・ショックの13年前に日本で起きていた不動産バブル崩壊の波乱
坪井賢一
日本のバブル崩壊は、1990年の株価暴落、1991年の地価下落に始まり、1997年の北海道拓殖銀行と山一証券の破綻で頂点に達した。その2年前の1995年、住宅金融専門会社は経営が立ち行かなくなり、膨大な不良債権の処理をめぐって大混乱に陥っていた。
リーマン・ショックの13年前に日本で起きていた不動産バブル崩壊の波乱
第4回
8年前にはすでにふくらんでいた米国住宅バブルの「火種」と熱狂を放置したFRBの「罪」
坪井賢一
米国の住宅バブルはいつ発生したのだろう。「週刊ダイヤモンド」をさかのぼってみると、2002年7月に掲載されたレポート「米国景気の牽引車『住宅バブル』の熱狂にひそむ不安」にたどりついた。今から8年前の記事である。
8年前にはすでにふくらんでいた米国住宅バブルの「火種」と熱狂を放置したFRBの「罪」
第3回
なぜ米国住宅バブル崩壊は瞬く間に世界へ広がったのか
坪井賢一
米国の住宅バブル崩壊が現在の欧州金融危機の発火点だが、これはいつ起きたのだろうか。住宅価格の下落が始まったのは2006年初。年末の12月にはサブプライムローンの販売会社の倒産が始まり、2007年には倒産事例が激増している。
なぜ米国住宅バブル崩壊は瞬く間に世界へ広がったのか
第2回
リーマン・ショックの1年前に始まっていた欧州の金融システム不安
坪井賢一
現在にいたるユーロ危機を引き起こした直接的な原因は、もちろん09年8月に起きたリーマン・ショックにある。しかし、その1年前から欧州には危機を招く他の火種がくすぶっていたという。
リーマン・ショックの1年前に始まっていた欧州の金融システム不安
第1回
7500億ユーロの大規模支援でも解決しない!?ギリシャ発ユーロ危機が起きた本当の理由
坪井賢一
創刊約100年となる週刊ダイヤモンドのバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。初回となる今回は週刊ダイヤモンドを紐解きながら、「ギリシャ危機がなぜ起きたのか」、その歴史を逆引きしていく。
7500億ユーロの大規模支援でも解決しない!?ギリシャ発ユーロ危機が起きた本当の理由
最終回
シュンペーターからドラッカーへ――「イノベーション」と「創造的破壊」の精神
坪井賢一
シュンペーターの冒険旅行は、1932年にハーバード大学で終着駅に到着した。彼の理論は自説についてモデル化できていないので、その後の理論経済学への影響はほとんどない。ただ、経営学には多大な影響をもたらしている。
シュンペーターからドラッカーへ――「イノベーション」と「創造的破壊」の精神
第64回
ようやくハーバード大学教授に就任!ドイツ、オーストリアからの大脱出
坪井賢一
日本での講演旅行を終えたシュンペーターは、ボンへ帰って行った。そして、ラブコールを続けたハーバード大学のオファーを受けることに心を決めつつあった。しかし、その頃ドイツはナチスの独裁寸前の状態だった。
ようやくハーバード大学教授に就任!ドイツ、オーストリアからの大脱出
第63回
滞日中のシュンペーターに密着した高田保馬と柴田敬
坪井賢一
日本滞在中のシュンペーターは神戸に降り立ち、神戸商大で講演を行った。そして、日曜には京都旅行へ出かけた。京都で出迎えたのが高田保馬と柴田敬であり、2人はここぞとばかりにシュンペーターへ質問攻めをした。
滞日中のシュンペーターに密着した高田保馬と柴田敬
第62回
昭和恐慌さなか、東京で講演日本の沈滞を鋭く分析
坪井賢一
シュンペーターが日本を訪れたのは、世界恐慌の影響によって日本も大不況に陥り、金解禁を行なった1年後の大デフレの最中だった。シュンペーターは様々な講演を通じて、日本の沈滞を招いた原因を鋭く分析した。
昭和恐慌さなか、東京で講演日本の沈滞を鋭く分析
第61回
ハーバードに後ろ髪をひかれつつ出発した日本講演旅行の成果
坪井賢一
世界恐慌がドイツにも伝播し、史上最悪の不況に陥っていた頃、シュンペーターは再びハーバードに戻った。そしてしばらくすると、またしても繰り上げてハーバードを後にする。日本へ初めて講演旅行に出かけるためだ。
ハーバードに後ろ髪をひかれつつ出発した日本講演旅行の成果
第60回
ついに教授就任!?ハーバード大学への道
坪井賢一
ハーバード大学から半年ぶりにボンに戻ったシュンペーターは、ボン大学の講義を再開した。しかし再びハーバード大学へ旅立つ。客員教授として招いたハーバードが、彼を完全に移籍させ、ハーバードの顔にしようとしていたのだ。
ついに教授就任!?ハーバード大学への道
第59回
勉強熱心でシュンペーターに可愛がられた日本人の弟子第2号 東畑精一
坪井賢一
中山伊知郎の留学から1年後、東大農学部助手・東畑精一がシュンペーターに師事するためボン大学にやってきた。東畑は後年、シュンペーターの著作を次々に翻訳・出版したことで知られる農業経済学者である。
勉強熱心でシュンペーターに可愛がられた日本人の弟子第2号 東畑精一
第58回
日本人の弟子第1号 中山伊知郎が回想する恩師シュンペーター
坪井賢一
シュンペーターの教え子に2人の日本人がいた。中山伊知郎と東畑精一である。中山はボン大学に留学する前に、東京商科大学にて福田徳三に学んでいたが、この福田はシュンペーターとまったく同じ発想の持ち主だった。
日本人の弟子第1号 中山伊知郎が回想する恩師シュンペーター
第57回
次々と家族に悲劇が襲うなか『経済発展の理論』第2版発行へ
坪井賢一
1926年のシュンペーターは、ボン大学や他大学の講義で多忙を極める中、『経済発展の理論』(初版1912年)の改訂作業も始めた。しかし、そんな彼に悲劇が襲う。相次いで母と妻子を亡くしてしまったのだ。
次々と家族に悲劇が襲うなか『経済発展の理論』第2版発行へ
第56回
ボン大学の優秀な教え子たち
坪井賢一
シュンペーターは、ボン大学で優秀な学生たちを指導しつつ、多くの論文を次から次へと発表した。シュンペーターは「理想的な教師」と慕われ、教え子たちの多くがのちに著名な経済学者として知られるようになった。
ボン大学の優秀な教え子たち
第55回
シュンペーターの正教授就任に尽力した盟友グスタフ・シュトルパーとの関係
坪井賢一
シュンペーターのボン大学招聘は、シュトルパーの強い推薦によって動いた。2人の交流は、シュンペーターが財務相に就いていた頃からあったようだ。では、シュトルパーとはどのような人物なのだろうか。
シュンペーターの正教授就任に尽力した盟友グスタフ・シュトルパーとの関係
第54回
ベートーヴェンからシュンペーターまで啓蒙思想から生まれたボン大学の歴史
坪井賢一
ドイツ経済が相対的安定期に入っていた1925年、シュンペーターはボン大学教授に着任した。ボン大学は、あのベートーヴェンもこの大学の出身であり、彼の啓蒙主義思想を育んだといっても過言ではない。
ベートーヴェンからシュンペーターまで啓蒙思想から生まれたボン大学の歴史
第53回
天文学的な額に悩まされたドイツ賠償金問題の結末
坪井賢一
ドイツはドーズ案による賠償金分割払いの方法が決まり、経済は安定期に入ったが、賠償金は天文学的な数字のままだった。そこで、賠償金問題はヤング委員長により再検討され、約1000億マルク削減されることとなった。
天文学的な額に悩まされたドイツ賠償金問題の結末
第52回
ハイパーインフレでより深刻に…ドイツの命運を握る賠償金問題の行方
坪井賢一
シュンペーターがウィーンからボンへ移住した1925年、ドイツは膨大な賠償金問題に悩まされていた。さらにハイパーインフレーションが起き、ドイツ経済は大混乱に陥ってしまう。
ハイパーインフレでより深刻に…ドイツの命運を握る賠償金問題の行方
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