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坪井賢一
第6回
菅民主党・国民新党連立政権はこれからどうなるのだろう。1993年に始まる現代の連立政権時代では、小泉自民党・公明党連立政権以外、いずれも短命だ。今回は、55年体制以前の連立政権をひもときながら、あるべき“連立政権の姿”を探りたい。

第5回
日本のバブル崩壊は、1990年の株価暴落、1991年の地価下落に始まり、1997年の北海道拓殖銀行と山一証券の破綻で頂点に達した。その2年前の1995年、住宅金融専門会社は経営が立ち行かなくなり、膨大な不良債権の処理をめぐって大混乱に陥っていた。

第4回
米国の住宅バブルはいつ発生したのだろう。「週刊ダイヤモンド」をさかのぼってみると、2002年7月に掲載されたレポート「米国景気の牽引車『住宅バブル』の熱狂にひそむ不安」にたどりついた。今から8年前の記事である。

第3回
米国の住宅バブル崩壊が現在の欧州金融危機の発火点だが、これはいつ起きたのだろうか。住宅価格の下落が始まったのは2006年初。年末の12月にはサブプライムローンの販売会社の倒産が始まり、2007年には倒産事例が激増している。

第2回
現在にいたるユーロ危機を引き起こした直接的な原因は、もちろん09年8月に起きたリーマン・ショックにある。しかし、その1年前から欧州には危機を招く他の火種がくすぶっていたという。

第1回
創刊約100年となる週刊ダイヤモンドのバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。初回となる今回は週刊ダイヤモンドを紐解きながら、「ギリシャ危機がなぜ起きたのか」、その歴史を逆引きしていく。

最終回
シュンペーターの冒険旅行は、1932年にハーバード大学で終着駅に到着した。彼の理論は自説についてモデル化できていないので、その後の理論経済学への影響はほとんどない。ただ、経営学には多大な影響をもたらしている。

第64回
日本での講演旅行を終えたシュンペーターは、ボンへ帰って行った。そして、ラブコールを続けたハーバード大学のオファーを受けることに心を決めつつあった。しかし、その頃ドイツはナチスの独裁寸前の状態だった。

第63回
日本滞在中のシュンペーターは神戸に降り立ち、神戸商大で講演を行った。そして、日曜には京都旅行へ出かけた。京都で出迎えたのが高田保馬と柴田敬であり、2人はここぞとばかりにシュンペーターへ質問攻めをした。

第62回
シュンペーターが日本を訪れたのは、世界恐慌の影響によって日本も大不況に陥り、金解禁を行なった1年後の大デフレの最中だった。シュンペーターは様々な講演を通じて、日本の沈滞を招いた原因を鋭く分析した。

第61回
世界恐慌がドイツにも伝播し、史上最悪の不況に陥っていた頃、シュンペーターは再びハーバードに戻った。そしてしばらくすると、またしても繰り上げてハーバードを後にする。日本へ初めて講演旅行に出かけるためだ。

第60回
ハーバード大学から半年ぶりにボンに戻ったシュンペーターは、ボン大学の講義を再開した。しかし再びハーバード大学へ旅立つ。客員教授として招いたハーバードが、彼を完全に移籍させ、ハーバードの顔にしようとしていたのだ。

第59回
中山伊知郎の留学から1年後、東大農学部助手・東畑精一がシュンペーターに師事するためボン大学にやってきた。東畑は後年、シュンペーターの著作を次々に翻訳・出版したことで知られる農業経済学者である。

第58回
シュンペーターの教え子に2人の日本人がいた。中山伊知郎と東畑精一である。中山はボン大学に留学する前に、東京商科大学にて福田徳三に学んでいたが、この福田はシュンペーターとまったく同じ発想の持ち主だった。

第57回
1926年のシュンペーターは、ボン大学や他大学の講義で多忙を極める中、『経済発展の理論』(初版1912年)の改訂作業も始めた。しかし、そんな彼に悲劇が襲う。相次いで母と妻子を亡くしてしまったのだ。

第56回
シュンペーターは、ボン大学で優秀な学生たちを指導しつつ、多くの論文を次から次へと発表した。シュンペーターは「理想的な教師」と慕われ、教え子たちの多くがのちに著名な経済学者として知られるようになった。

第55回
シュンペーターのボン大学招聘は、シュトルパーの強い推薦によって動いた。2人の交流は、シュンペーターが財務相に就いていた頃からあったようだ。では、シュトルパーとはどのような人物なのだろうか。

第54回
ドイツ経済が相対的安定期に入っていた1925年、シュンペーターはボン大学教授に着任した。ボン大学は、あのベートーヴェンもこの大学の出身であり、彼の啓蒙主義思想を育んだといっても過言ではない。

第53回
ドイツはドーズ案による賠償金分割払いの方法が決まり、経済は安定期に入ったが、賠償金は天文学的な数字のままだった。そこで、賠償金問題はヤング委員長により再検討され、約1000億マルク削減されることとなった。

第52回
シュンペーターがウィーンからボンへ移住した1925年、ドイツは膨大な賠償金問題に悩まされていた。さらにハイパーインフレーションが起き、ドイツ経済は大混乱に陥ってしまう。
