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坪井賢一
第51回
東大助教授・河合栄治郎は満を持してシュンペーターに東大招聘を切り出す。不遇をかこっていたシュンペーターは大いに喜んだ。大物シュンペーターの獲得にドイツ留学中の東大教官たちも祝杯をあげていたのだが――

第50回
銀行頭取を辞任し、浪人となっていたシュンペーターだったが、そんな彼をある日本人が訪ねた。その日本人とは東大助教授河合栄治郎で、彼の目的とはシュンペーターを東大の外国人教師として招くことだった。

第49回
シュンペーター頭取のビーダーマン銀行は、不良債権の膨張で経営危機に陥る。救済に乗り出したのはイングランド銀行の子会社、アングロ-オーストリア銀行だったが、なぜ英国銀行が救済に乗り出したのだろうか。

第48回
財務相から大学教授に帰任していたシュンペーターは、突然、銀行経営者に転じる。学界、政界、学界、そして金融界へと冒険は意外な展開を迎えるが、なぜ彼は金融界へ足を踏み入れることになったのだろうか。

第47回
シュンペーターの行動が謎に包まれている1920年。ドイツでは第2次社会化委員会が召集され、イタリアでは自動車会社フィアットがストライキと工場占拠の舞台となったりと激動の中にあった。

第46回
シュンペーターが財務相を辞任するきっかけともなったアルプス鉱山会社株の買収をしたイタリアの巨大自動車会社フィアット。その買収劇が行なわれた前後のフィアットとイタリアはどのような状況だったのだろうか。

第45回
シュンペーターは、旧友ゾマリーと為替レートの維持を巡って議論を繰り広げた。財務相を辞任した後も交流は続き、ゾマリーは国際金融に関する“知恵袋”という存在になっていたようだ。

第44回
通説では、「アルプス鉱山会社事件」の責任を負わされた“被害者”のシュンペーター。しかし彼の弁明をみる限り、事件を主導したコーラ=フィアットの動向を確信を持って支持していたようである。

第43回
シュンペーターが財務相辞任に追い込まれた原因とされているアルプス鉱山会社事件。だが、実際はバウアーたちにはめられたという説もあり、真相は謎のままだ。今回は、この事件の真相についてを分析していこう。

第42回
独で社会化をすすめたシュンペーターは、墺でも社会化政策を任せられる。しかし、期待に反して社会化にブレーキをかける政策を主張し、バウアーはその豹変ぶりに激怒する。

第41回
オーストラリア共和国の財務相と外務相にそれぞれ就任したシュンペーターとバウアー。彼らは就任後すぐに対立を始め、わずか数ヵ月で辞任することになる。対立の元となったのは、両者の独墺政策案の違いであった。

第40回
シュンペーターは、オーストラリア共和国財務大臣に就任する。推したのは大学の旧友バウアーだった。彼は鋭い洞察力の持ち主であり、大学時にはドイツ民族の自決を構想していた。

第39回
産業の国有化を議論するため、1918年に発足したドイツ社会化委員会。その委員にシュンペーターを引っ張り込んだのは、ウィーン大学のゼミ生仲間だったルドルフ・ヒルファーディンクとエミール・レーデラーである。

第38回
敗戦によりドイツ、オーストリア帝国は崩壊。シュンペーターは、ドイツ仮政府のもと作られた「社会化委員会」の委員に就任した。企業者と金融資本家を重視する自由主義経済学者にもかかわらず、である。

第37回
ソニーCEOのストリンガー氏が1月8日の講演で、ソニーの成長に必要な7つのイノベーションについて語っている。家電産業が直面する課題をもとに、シュンペーター的回答を考察したものと筆者は理解している。

第36回
多くの犠牲者を出したロシア革命に対して「満足している」と表明し、ウェーバーを激怒させたシュンペーター。一方、著書では「ロシア革命は失敗する」と書いている。この矛盾した態度はどこから来ているのだろうか?

第35回
シュンペーターの学友・ゾマリー回想録によると、ある時彼らはウィーンのカフェで社会主義の是非をめぐり、激しい議論になったという。シュンペーターがウェーバーを挑発し、激高させたというのだ。

第34回
第一次大戦下、オーストリアとドイツの帝政崩壊まで、確実に秒読み段階へ入った1918年。シュンペーターは『租税国家の危機』を出版。本書の中で彼は、敗戦後のインフレを予見、その対策を提案している。

第33回
第1次大戦下、シュンペーターは11本の論文を発表している。それを読んでみると、複雑な世相を反映してか、矛盾だらけでなんとも腑に落ちないところが多い。当時の状況を知らないとさっぱりわからないだろう。

第32回
1913/14年冬学期から1914年夏学期まで、シュンペーターはアメリカのコロンビア大学に招聘され、交換教授として滞在した。初めてのアメリカである。フィッシャーをはじめ、多くの経済学者を親交を深めた。
