モヤモヤを抱えた引きこもり気味の大学生が、
ネット業界でゼロからの立ち上げを経験するまで
斎藤 大学生の頃、少し好転して、就職後大きくマイナスに振れています。この激しい浮き沈みのころの榊原さんってどんな感じだったんですか?
1974年生まれ。名古屋市出身。株式会社アクシブドットコム(現VOYAGE GROUP)創業期において営業統括として、営業本部の立上げ、営業販促戦略、広告商品開発、アライアンス戦略に取り組む。その後、インピリック電通(現電通ワンダーマン)にて、大手情報通信・飲料メーカー・金融会社のダイレクトマーケティング戦略に従事。その後、株式会社アクシブドットコム(現VOYAGE GROUP)に復帰、営業統括として、西日本広告販売ブランチの立上げ、営業本部の再構築、モバイルサイトの立上げに従事。2008年にシード・アーリーベンチャーの経営・マーケティング・営業・人事・財務・CI戦略支援に特化した株式会社サムライインキュベートを設立し代表を務める。著書に、『20代の起業論』(ダイヤモンド社)がある
榊原 大学は関西大学。何でもOKで、過保護気味の母親から離れないと、と思って選びましたが、結局最初の2年くらいは引きこもっていました。テニスサークルに入ってみたものの、リーダーになれずに辞めて、みたいなことも。
斎藤 へぇ、そういうころがあったんですね、榊原さんでも。
榊原 はい、そういうころのマイナスの経験がなかったら、いまはないと思います。変わってきたのは3年生くらいから。青少年リーダーというようなサークルに入って、社会貢献ってこういうことなのか、とわかったり。
就職は、そういう社会貢献的なボランティアをしていたので、やっぱり医療系かな、みたいな。あまり深くは考えずに、医療機器の会社に。
斎藤 感情曲線、めちゃくちゃ急降下していますが?
榊原 先生がとりあえず威張っているんですよね。それに対してこちらはへーこらしないといけない。なんでこんなにペコペコしなくちゃいけないのかなっていう。それでも、3年ぐらいがんばっていましたが、対等の立場で仕事ができるところに行きたいなと思いはじめて。
ちょうどそのころ、普通にネットが盛り上がりそうだったので、ネット上で応募しました。たしか、土曜日にサイバーエージェントを受けて、日曜日にアクシブドットコム(現VOYAGE GROUP)を受けて。最終的には、アクシブに決まりました。
斎藤 医療業界からネット業界って、かなりの変化ですよね。
榊原 それまでは、自分が経験したことがないと、新しいことができないのかなと思っていました。医療業界に入ったのも、学生時代に経験していたからで。つまり、自分で世の中を変えられないのかなと思っていたんですけど、ネット業界に来て、好きなことをやって、対等な立場で話ができて。結果、世の中も変わっていくし、会社も売上があがるし、という世界になりました。だから、やりたいことをやれば、世の中って変えられるんだな、と、自信がかなりついたんです。
斎藤 実際には、どういう仕事をされていたのでしょうか?
榊原 ゼロからの立ち上げだったので、全部ですね。懸賞サイトをやっていて、でもそれをどうやってマネタイズするかっていうのがなくて。広告事業の部の立ち上げとか、人の採用とか。いま、起業の支援をやっていますが、その支援のツールは、全部このときつくったものを、いまも使っていたりします。
斎藤 基礎力がここでついたと。
榊原 はい、この経験がなかったら、起業支援はできていないですね。ほぼ全部やったんですよ。ファイナンスはやらなかったんですけど、それ以外は全部やりました。