「自分が死んだとき、何と言われたいか?」
――目線を高めると、見える景色が変わる

斎藤 榊原さんみたいに、金融の知識がまったくなくて、ベンチャーキャピタル事業を立ち上げる人っていないと思うんですよ。いったいどういうマインドでどんどんチャレンジしてきたんですか?

榊原 「正義の味方」になりたいっていうところじゃないですかね、世の中の。人の悩みを解決するのが仕事だと思っているので。もう、それしかないですから。あとは、もともと日本って起業家がたくさんいたからいまの大企業があると思うんですけど、みんなそういうのを忘れてるんじゃないかなっていうところとか。感謝ですね、過去の人たちへの。

斎藤 使命感が生まれてきたんですね。普通、人って最初は個人の欲から始まるじゃないですか。それがだんだん使命感が出てくる。榊原さんの場合、いつから世のため、人のため、というような使命感に変わっていったのでしょうか?

榊原 逆説的ですけど、僕、ある人に言われたんです。「めっちゃ、欲深いね」って。ある程度実績を積んでいくと、「お金」はついてきます。そうじゃなくて、僕らは、ノーベル平和賞を獲ろうとしているので。だから、超欲深いねって。

斎藤 そのノーベル平和賞の話、もうちょっと詳しく教えてください。

榊原 なぜ僕がいまある事業をやっているかというと、結局、目立ちたがりなんです。きっかけは著書にも書きましたが、両親が商売人だったことです。幼いころ、父親や母親が、僕と姉を夜中1人にして、付き合いで葬式に行かなくちゃいけないっていうシーンが結構多かったんですよね。

 そのときに思ったのは、「なんで人が死んでるのに、付き合いなんだろう?」。そうじゃなくて、自分が死んだときに、「昔こういうことがあって、人生を変えてくれた人が、今日亡くなったから、ごめん、ちょっと行ってくるわ」と言われる人になりたかったんです。

 だから、僕にとっての「目立つ」のポイントは、僕が死んだときに、僕がいたことによって、本当に変えられたっていう人をどれだけ増やすかっていうところにあるんです。それを、単純にたくさんの人を笑顔にしたい、というのではなくて、確実な目標を持ちたくて、ノーベル平和賞なんです。なぜなら、ノーベル平和賞を獲るっていうことは、世の中を最もよくして評価された人だから。目標値ですね。いまはもう、僕というよりは、日本が獲ればいいと思っています。日本が獲ることによって、日本人が侍として、世界中の紛争だったりとか、困ったりしている国に、経済的に豊かにすることで貢献していく、そういう日本にしたいっていうのがベースですね。

図3)目線を上げると、ミッションは見つかる(『一生を賭ける仕事の見つけ方』77ページより) <拡大画像を表示する>

斎藤 個人として目立ちたいっていうのがあるけど、それを、世の中を変えていくことで実現していこうとしているわけですね。

榊原 そうですね。なので、昔は個人だった。いまは超越していて、会社にもサムライという名前をつけているので、サムライで獲ればいいし、もっと言えば、サムライってうちの会社じゃなくて、日本人のものなので、日本人として獲れればいいかなっていう感じですね。

斎藤 本にも書きましたが、どんどん活躍していくことで、個人の目線から会社、社会へと上がっていくんですよね。目線が昇華していく、というか。それが使命感につながっていくんです。