『宇宙兄弟』(小山宙哉)や『ドラゴン桜』(三田紀房)など、話題のヒット作をプロデュースしている佐渡島庸平氏。彼の仕事の流儀を著書『ぼくらの仮説が世界をつくる』(ダイヤモンド社)から探っていこう。
(記事編集:佐藤智、写真:塩谷淳)
「ドミノの1枚目=基本」を徹底せよ
――佐渡島氏が「仕事をする上で重視していること」とはどんなことだろうか。
ぼくが仕事をするときに抱いているイメージが「ドミノを倒す」ということです。ある1枚のドミノを倒すと、次にどのドミノが倒れるのか。それをいつも意識しているのです。
単発の仕事を延々と繰り返すことで目標に近づくのは、どれだけ精神力があっても足りません。ある仕事をすると、次の仕事につながる。そういう「連鎖を生み出す仕事」であれば、やる気も自然と継続するでしょう。いかに自分がやる気を継続させられるような仕組みを作るか、ということが重要なのです。
――佐渡島氏の言う「ドミノの一枚目」とは「基本」である。基本を徹底することで飛躍的に成長できるというのだ。
『ドラゴン桜』の取材の中で、数学の勉強法をリサーチしたときのことです。
「小さい頃は数学が得意だったのに、いつからか不得意になった」という人は多くいます。そういう人たちに共通していたのが「計算問題を大量にやらなくなった時期に数学を嫌いになっている」ということでした。
小学生までは、誰もが計算ドリルや宿題で出された計算問題にたくさん取り組みます。ところが中学生になると学校の授業では、抽象度の高い数学的思考を説明する時間が増えて、小学生のように単純な計算問題をやらなくなる。するととたんに数学ができなくなるのです。
取材先の先生の指摘は興味深いものでした。ただ単に計算が遅くて問題を解ききれなくなっただけなのに、難しくて自分には解けないのだと思い込んで、数学を嫌いになってしまう、というのです。
計算問題をやらないことで、単純に数学の基礎体力が落ちてしまう生徒が多い。いわば筋トレもやらないのに、いきなりスポーツをやって、苦手意識を持つというのと同じようなことが起きてしまうわけです。
小山宙哉氏が大切にする「基本」のちから
――佐渡島氏が育てた作家の多くもこのような「基本」を大切にしてきたという。
新人マンガ家・羽賀翔一さんの画力を上げるために、彼に小山宙哉さんのところでアシスタントをしてもらったことがあります。
小山さんは羽賀さんの実力をはかるために、課題を出しました。小山さんが確認しているのは、まっすぐな線とななめの線の描き方です。それを見れば、どれだけペンをコントロールできているかがわかるからです。
ペンをコントロールできて、観察力があれば、絵はどんどんうまくなっていきます。小山さんが作家として成長できたのは、何が「基本」で、「どんなトレーニングをすればいいか」を自分で考えることができたからでしょう。
小山さんの成長を感じたエピソードがあります。新人時代の小山さんの絵はフリーハンドでした。フリーハンドの絵は、味があるのですが、世間的な大ヒットになりにくくもあります。多くの人は、一見してきれいな線のほうが好きだからです。だから、小山さんに、定規を使って線をきれいにするようアドバイスをしました。
小山さんは、すぐに定規を使って描くようになったのですが、『ハルジャン』という作品をやっているときに、彼のアシスタントが小山さんの事務所の定規が使いにくいと愚痴をこぼしていました。
小山さんに聞いてみると、定規にカッターでギザギザのすごく細かい刻みを入れていると言います。そのギザギザ定規を使うと、線がまっすぐでも、微妙にゆらゆらする。その線の「ゆらぎ」は、ぱっと見では気付かないくらいの細かさなのですが、線の持つ情報量が増えて、「味」が生まれるのです。
ぼくがアドバイスした「きれいな線」を描くことを達成しつつ、さらに自分で工夫を加えていた。これまでいろんな新人マンガ家を担当しましたが、道具を自分で開発して絵を描く人は初めてでした。
その後しばらくして、『宇宙兄弟』を小山さんが描き始めた頃に、「まだギザギザの定規、使ってるんですか?」と聞くと、「ふつうの定規でも、自分の描きたい線が描けるようになったので、今は使っていません」と言っていました。自分の工夫すらも簡単に捨てて、成長しようとする姿勢がやはり一流です。
「マネ」をすることで「自分」を知ることができる
――「基本」以外にどんなことを大切にしているのだろうか。
ぼくが新人に出す課題にこんなものもあります。
大好きな短編か、マンガの一話を5回くらい読み込んでもらいます。それをできるかぎり記憶して、まったく同じ物語を自分で再現してもらうのです。
これは、相当難しい課題です。しかし、これをやることで他のマンガ家がどのようにリズムを作っているかなどを意識することができるようになります。
そのようなトレーニングをして基礎力が上がると、自分が表現したいことを表現できるようになっていきます。
人は、「自分の個性が何なのか」「強みが何なのか」ということを、自分では見つけられません。マネるという行為は、他人になろうということではなく、他人との比較によって、自分の個性と強みを見つけようとすることなのです。
観察力を磨くことが一流への道
――「基本」と「マネ」。その上で、オリジナリティ溢れる表現を生んでいくには、他にどんなことが不可欠なのだろうか。
一流のマンガ家、一流の経営者に会っていると、いつも同じ感想を持ちます。ふとした会話のときに、「そんなところまで見ていたのか!」と思うことがすごく多いのです。ふつうの人が気付かないようなちょっとした「歪み」や、ほとんどの人が見落としてしまうような「美しさ」に一流の人たちは気付きます。
誰も読んだことがない物語を作る人も、誰も想像できない社会を実現する経営者も、優れているのは「想像力」というよりも「観察力」です。
ぼくは新人マンガ家に対して、表現力の前に、観察力を鍛えるようにアドバイスします。表現するには、その元となる素材を「観察する力」が必要だからです。
コルクでは羽賀翔一さんを育成していますが、彼には「今日のコルク」という1ページマンガをほぼ毎日描いてもらって、ネットで発表していました。コルク社内で起きるちょっとした事件や発見をマンガにしてもらったのです。
新人がいきなり中編のおもしろい読み切りを描くのは、かなり難しいことです。かといって、数ヵ月ずっと作品を描かずに、物語を考えてばかりでも成長しません。観察力を鍛えるトレーニングとして、1ページマンガだと毎日続けることができて、ちょうどいいのです。
観察力が上がっていくと、同じものを見ていても、他の人とは違う、ものすごく濃密な時間が過ごせるようになっていく。風景にしても、世の中の出来事にしても、人の心にしても、目に見えない微妙な変化やおもしろさに気付くようになります。その段階に入った作家は、みるみるうちに一流へと駆け上がっていくのです。
――佐渡島氏が新人を育てるうえで大切にしている3つのこと。それは「基本」「マネ」そして「観察」だ。明日も佐渡島氏の流儀についてご紹介する。