禁断の果実──[1993年2月]

 現場でトラブルが噴出していた頃、僕はもっと致命的なミスを犯していた。
 急成長を目指すあまり、入ってきたお金をそのまま投資に回す“自転車操業”を行っていたのだ。自転車はペダルを漕ぐのをやめると倒れてしまう。力強く成長している時には問題は表面化しないが、いったん成長のスピードが鈍ると、とたんにバランスを崩して危機に陥る。当時の資金繰りは、まさにそれだった。

 クライアントからの預かり保証金が約一億円、前受け広告費が約5000万円あったが、それらをほぼすべて運転資金――人件費、オフィス費用、回線費用、機器の仕入れ代金など――に積極投入し、事業拡大を加速させていた。

 だが、僕の見通しは甘かった。ブームが去ると、業績は下降線をたどり、一億円あった月商は一気に目減りしていった。

「マズいよ、斉藤。今月の売上は5000万円にも届きそうにない……」

 福田が深刻な表情で話しかけてきた。

「社員40名の人件費だけで2000万円を超える。それに家賃に回線費用、仕入れ代金を払うと完全に赤字だ」

 僕は無言でうなずくしかなかった。それは、僕たちが起業してはじめて迎えた危機だった。資金を先食いしていたために、損失以上に急速に資金繰りが悪化していた。

 リスク管理に長けた経営者であれば、市場縮小の兆候を敏感に察知し、すぐに身の丈に合ったサイズまで事業の縮小を断行したはずだ。しかし、僕はリストラに踏み切れなかった。なんとかして事業を維持したい。社員の悲しむ顔を見たくない。そのため、僕の打ち手はことごとく後手に回った。

 このままいけば、早晩お金が足りなくなる。資金不足をカバーするために、国民金融公庫や城南信用金庫から1500万円ほどを借り入れていたが、それだけではとても足りない。とにかくお金を借りよう。僕はそう思い立ち、祐天寺に本社を移転して以来、積極的に営業をかけてきたあさひ銀行(現りそな銀行)の担当者を呼んで、資金の借り入れについて相談した。

「御行から融資をいただくことは可能でしょうか?」

「ありがとうございます。できるだけご支援したいのですが、まだ創業して間もないので、信用だけでお貸しするのはむずかしいです。何か担保になるものはありませんか?」

「会社にある資産は、納品するためのコンピュータ機器ぐらいですね」

「それだと厳しいなあ。ちなみにご自宅は自己所有ですか?」

「はい。実家ですので、両親と僕と妻の分割所有です」

「そうですか。ご自宅を調べさせていただいてもよろしいでしょうか?」

「わかりました。お願いします」

 銀行のアクションは素早く、翌日には電話がかかってきた。自宅に根抵当をつけさせてもらえれば6000万円まで貸し出せるとのことだった。根抵当権とは、将来借り入れる分も含めて、あらかじめ不動産に設定しておく抵当権のことで、6000万円の枠内であれば、必要な時に必要な額を借りることができるものだ。

 家を担保に入れるか、それともこのまま資金難に突入するか。

 自宅の土地と建物はすべて僕の所有物というわけではなく、土地は父親名義、二世帯住宅の一棟は父親、もう一棟は僕と妻の共同名義だった。返済するアテはない。だが、放っておけば、資金は確実にショートする。社員や顧客、取引先、株主、あらゆる関係者に迷惑をかけることになるだろう。

 すべての責任は僕にある。自宅を担保に入れなかったとしても、すでに個人で会社の借入金や賃貸契約の連帯保証をしており、それが返せないと必然的に自宅をどうするかという話になるはずだ。どうせ結論が同じなら、今資金を調達して再起をはかるのが得策ではないか――。

「お金が足りなくなりそうなんだ。自宅を担保に借り入れたい。この土地と建物を僕に預けてもらえないだろうか」

 思い悩んだあげく、僕は母に事情を説明した。

 突然の申し出だったが、母は驚いたそぶりさえ見せず、父と相談してみると言った。心中穏やかであったはずはない。息子の会社はうまくいっていると信じていたのに、いきなり借金の相談だ。会社を立ち上げた時も、何も言わずにお金を貸してくれた両親だ。さぞ複雑な思いがあったに違いないが、その時も文句のひとつも言わずに僕のわがままを聞き入れてくれた。

 二世帯住宅の隣の自宅に帰ってから、若菜にも同じことを説明した。彼女は少し心配そうな顔つきをして「そうなの?」と聞いてきたが、僕が黙ってうなずくと、最後は「わかった。あなたの好きにして」と言ってくれた。

 今、この急場をなんとかして切り抜けたい。そんな現実逃避の甘えから、僕はついに禁断の果実を口にしてしまった。それがこの先、何年も続く借金地獄の入り口だったとは、その時はまだ知る由もなかった。(つづく)

(第10回は1月9日公開予定です)

マズいよ、斉藤。今月の売上は5000万円にも届きそうにない……【『再起動 リブート』試読版第9回】

斉藤 徹(さいとう・とおる)
株式会社ループス・コミュニケーションズ代表 1961年、川崎生まれ。駒場東邦中学校・高等学校、慶應義塾大学理工学部を経て、1985年、日本IBM株式会社入社。29歳で日本IBMを退職。1991年2月、株式会社フレックスファームを創業し、ベンチャーの世界に飛び込む。ダイヤルQ2ブームに乗り、瞬く間に月商1億円を突破したが、バブルとアダルト系事業に支えられた一時的な成功にすぎなかった。絶え間なく押し寄せる難局、地をはうような起業のリアリティをくぐり抜けた先には、ドットコムバブルの大波があった。国内外の投資家からテクノロジーベンチャーとして注目を集めたフレックスファームは、未上場ながらも時価総額100億円のベンチャーに。だが、バブル崩壊を機に銀行の貸しはがしに遭い、またも奈落の底へ突き落とされる。40歳にして創業した会社を追われ、3億円の借金を背負う。銀行に訴えられ、自宅まで競売にかけられるが、諦めずに粘り強く闘い続けて、再び復活を遂げる。2005年7月、株式会社ループス・コミュニケーションズを創業し、ソーシャルメディアのビジネス活用に関するコンサルティング事業を幅広く展開。ソーシャルシフトの提唱者として「透明な時代におけるビジネス改革」を企業に提言している。著書は『BE ソーシャル 社員と顧客に愛される 5つのシフト』『ソーシャルシフト─ これからの企業にとって一番大切なこと』(ともに日本経済新聞出版社)、『新ソーシャルメディア完全読本』(アスキー新書)、『ソーシャルシフト新しい顧客戦略の教科書』(共著、KADOKAWA)など多数