――では、ドラッカーについて問題意識があった?
加藤 いえ、そうでもないです、その頃は。ただ組織とかマネジメントの問題に思うことがあったんです。
僕はそれまで、本を作るときの基本的なテーマは、英語、投資や経済などのファイナンス関係、それとコンピュータ関係でした。英語、ファイナンス、コンピュータの3つは、僕は個人を自由にするツールだと思っているんです。英語ができて、お金があって、ITの技術があれば、世界中どこにいても生きていけますよね。言い換えると、人が自由でいられると思います。だから、この3つの分野に個人的にも興味を持っていたし、そのテーマにそった本を作ってきました。
でも、そうはいっても、これだけでは限界がある。ある程度大きなことをしようとすると、人と一緒になってやらないといけない。そうなると組織が必要になります。でも個人としてどう行動するかと、組織としてどう動くかということでは、方法論が違うような気がしていました。
だから組織としての方法論が関心事の一つとしてありました。コラボレーションとか組織論とかですね。ただ何となく、ぼんやりという段階でした。
経営学ってどうなんだろう?
ずっと疑念を持って見ていました
――では、経営にかかわるテーマで本を作ろうと?
加藤 いえ、むしろ、巷にあるリーダーシップ論とかは、もうひとつしっくりこなかったんです。
――どうして?
加藤 じつは経営学に対しては、疑念を抱いていました。たとえばトヨタがなぜあれだけ成功したかという解説とかありますけど、それって後付なんじゃないかとか。仮にトヨタが実行したことを理論化したとして、他の会社で再現できるんだろうか。あるいは、本田宗一郎のリーダーシップとか起業家精神は、属人的なものとしてなら納得できるんですが、学問として理論になるんだろうかという疑念です。
つまりリーダーシップやマネジメントは、アートではないかという気がしていたんです。エンジニアリング的に語れないのではないか、と。でも人が一緒になって働く仕組みは必要なので、従来の経営学やマネジメント論に変わるものってないのかなという問題意識はありました。
――僕は経営学の本をつくってきたが…。
加藤 いえ、他意はないんですよ! あまりちゃんと理解していなかったというのもあるかもしれませんが、アートの限界は属人的であることですよね。例えば、明石家さんまさんのお笑いの方法論ってある程度学べるものかもしれないですが、誰も明石家さんまさんにはなれないじゃないですか? 経営とかリーダーシップはそういうものではないかと思っていたんです。でも何かないかなって。
そういう時に、たまたまこのブログのこの記事を見たわけです。