自由主義とは「何がフェアか」を自分が決めることである
ところが、「お前たちとはやってられないよ」と席を立とうとしたときです。
頭に血が上ったドイツ人が、こう噛みついてきました。
「だいたい、お前ら日本人は、しょせんイエロー・モンキーじゃないか。なんでもマネするだろ? お前のところの製品も全部コピーじゃないか!」
これは、絶対に言ってはならない言葉です。
さすがに、私も表情がこわばりました。このドイツ人だけは許さない。徹底的に戦うと決意。こう、啖呵(たんか)を切りました。
「私たちが法律に触れるようなことをやっているか? 特許を取った独自の製品もある。何も問題はないじゃないか。そこまで言うのなら、俺は、お前をここから叩き出してやる。お前が取っている契約を狙い撃ちにして、片っ端から奪い取ってやる。そのうち、お前はここにはいられなくなるぞ。覚悟をしておけ!」
そう言い切ると、ドイツ人は真っ青になり、他の欧米人たちも黙り込んでしまいました。そして、私はバーを飛び出したのです……。
シンガポールやマレーシアは人種の坩堝(るつぼ)です。
そのなかに、日本人がたったひとり入っていったのですから、これに類したエピソードはやまのようにあります。なかでも、このときは心の底から怒りを覚えました。完全に闘争心に火がつきました。とはいえ、ここまで激しくやり合ったのは、若気(わかげ)のいたりもあったでしょう。いまなら、もう少し穏便にことを済ませられたかもしれない。
しかし、今でも、あのときの自分の行動は間違っていなかったと思っています。なぜなら、最初に「フェア」という言葉を持ち出したのは彼らでしたが、それは明らかにアンフェアだったからです。シンガポールもマレーシアも自由主義の国です。私は独立した自営業者です。どれだけ働こうが、それは個人の自由。彼らの「常識」に、私が従う筋合いはありません。自由主義とは「何がフェアか」を自分が決めることです。
しかも、彼らは徒党を組んで、たったひとりの私を吊るし上げようとした。この行為自体がアンフェア。さらに、こともあろうに「差別的発言」という究極のアンフェアまで行った。これを、看過(かんか)しているようでは生きていけません。これは、明らかに「戦うべきとき」なのです。