争乱の背景となった経済格差
「二度目」のクーデターに向き合いながら

 2006年9月のクーデターで時の首相タクシンが追放されて以来、タイでは根深い政治的混乱が続いている。

 実は、バンコクでクーデターに遭遇するのは、僕にとって二度目のことだった。2006年のクーデターは起きたとき、まさにカンボジアからタイに向かう途中だったのだ。僕は身の危険を感じながらも、タイの国境まで向かった。途中で何度も安全を確認した。

 びくびくしながら、カンボジア国境を越えると、戦車が立ち並んでいた。「戦車」。そんなもの、間近で見たことがあるはずなんてもちろんない。その時の僕は、それが人を殺す道具であることは頭ではわかっていながらも、子どもが遊ぶ「プラモデル」のように見えてしまった。同時に、安否確認もせず、国境を越える日本の女子大生のグループを横目に見ながら、平和な時代に生まれるということが、いかに生き延びるための本能を麻痺させるのか、ということを感じていた。

 結局、騒乱の渦中にあるタイという国の実態を見るには、二度とない機会かもしれないという思いをこらえきれず、気がつくと僕は騒乱の首都、バンコクにいた。

 ここで前回のクーデターの話をあえて持ち出したのは、この騒乱がいかに根深いか、ということを知ってもらうためだ。この対立の背景は、都市部と地方部の圧倒的な経済格差だ。日本はかつて、「一億総中流社会」と呼ばれたこともあり、経済格差に関する感覚が麻痺しがちだが、あらゆる社会において、「格差」は当たり前のように埋めこまれている。

 首都バンコク市内とタイ東北部の平均収入の格差は、7倍以上の開きがある。想像できるだろうか? 人口の約3分の1を占める東北部で暮らす人々と首都で暮らす約6分の1の人々の間に、7倍以上の格差があるのだ。首都で働けば、車だって買うことができるのに、東北部で汗水たらして働いても、貯蓄すらできないことがある(注1)


(注1)Gross Regional and Provincial Product 2010 NESDB 2011