「自信」をもつより、「畏れ」をもちなさい
むしろ、私はこう考えています。
なまじ自信などないほうがいい、と。
生半可な自信は慢心と変わりません。世の中は甘くはない。たしかに、成功体験を積むことで自信は備わってくるかもしれませんが、過去の成功体験はむしろ失敗のもとにすらなりかねない。世の中は常に変化を続け、ライバルは無数にいます。そんななかで、以前の成功体験を過信してしまえば、成功からは遠ざかってしまうでしょう。
だったら、自信などないほうがいい。常に不安だからこそ、細心の注意を払う。臆病な目で世の中の動きを観察する。そして、考えに考え抜いて最善の策を打ち立て、必死で準備をして全力でモノゴトに当たる。この姿勢を徹底することで、初めて成功を手繰り寄せることができるのです。
ただ、そのように必死になって何かに取り組んでいると、自然と他を圧するようなオーラが生まれます。だから、若いころから私は自信などまったくありませんでしたが、「風圧を感じる」などと評されたのだと思います。
それに、自分なりにあらゆることを考え、全神経を集中させて打ち立てた事業プランであれば、自然と説明するときにも迫力がこもります。これは自信ではなく、必死でやっているからこそ生まれる気迫のようなものだと思います。その結果、相手からは自信があるように見える、ということでしょう。
だから、自信をもとうとする必要はないと思うのです。それよりも、世の中に対して「畏れ」をもつこと。そして、不安を味方にすることです。不安に打ち勝つために、出来る限りのことをする。その結果、あなたのなかに自信などなくとも、相手にはあたかも自信があるかのように映るのです。
自信があるように見える、というのは生きていくうえでは重要です。特に、事業家として生きていくためには、相手になめられたらおしまいです。たとえば、交渉の場は、こちらがどんなにフェアに進めようとしても、相手は必ずエゴを打ち出してきます。そのエゴを跳ね返すためには、きちんとしたロジックも重要ですが、それだけでは足りません。相手の「気」を跳ね返すだけの「気」をこちらも発していなければ押し込まれてしまうのです。そして、その「気」は、必死に生きているからこそ生まれるのです。