たとえば、単語の覚え方に「語源」から覚える方法がある。
多くの単語をひとつひとつ覚えずとも、単語の一部分の根源的意味を知っていれば、知らない単語の意味を推察できてしまうという方法である。
例えば「Sub」の意味は、「下(の)」である。
すると、「Subway(サブウェイ)」の意味は、Sub(下の)way(道)で「地下鉄」、「Submarine(サブマリン)」が、「海の下」で潜水艦、「subliminal(サブリミナル)」が「潜在(下の)意識」と類推できる。
ここまでは知っている人も多い。
しかし、さらに“本質”を考える人は、実はアルファベット1文字ずつの意味を知っている。
例えば、“b”や“d”が「何を意味するのか」。
“b”は存在や肯定、向上、成長などを意味し、“d”は欠乏や否定を表す。
だから“b〜”が入っていれば、自然に「ああ、何か肯定的、前向きな意味なんだな」と感じることができるし、“d〜”とくれば「なんとなく、悪い意味が多いぞ」とわかる。
抽象性は高いが、本質的であるからこそ応用が利くのである。
頭の良い人は、極めてメタ(抽象的)な本質をいくつか押さえており、そこから枝葉末節の問題を難なく解決してしまうものである。
情報流入を制限し
思考量>情報量を意識する
しかし、本質に迫るという作業はたやすいことではない。
常に考え続けなければならないからだ。
情報量が増えれば増えるほど、人は思考しなくなる。これを「情報と思考のパラドックス」という。今の情報過多の時代は、考えるには不利な状況にある。
だから僕たちは意識的に情報流入を制限し、常に「思考量>情報量」を意識しなければならない。
ときには新聞を閉じ、テレビを消し、意識的に情報を遮断する時間が必要だ。
思考力とは筋肉と同じ。フィットネスが大事である。