“枠にはまらず、自分が創り上げたものが客の心を打つ”
名店「せきざわ」の店主のこの言葉が道を決めた

 ここからの坂さんの発想が面白い。全国の蕎麦屋を2年かけて周り、自分が一番感動した蕎麦屋の弟子に入ろうと思ったという。こうして坂さんは蕎麦屋を訪ねて回る旅に出た。

 “一番好きになった蕎麦屋で働き、そこで修業して蕎麦屋になる”。そう決めた坂さんは、全国の130余りの店を回った。そして、一番の衝撃を受けた蕎麦屋、群馬の箕郷にある「せきざわ」に修業に入りたいと申し入れた。そこでは自分が劇的に変われるはずだった。だが、「せきざわ」の店主は弟子を取らない人だった。

「自分の弟子になれば、打ち方も同じになる。それでは自分のコピーになってしまう」。

 店主は坂さんにこう言った。そして、自身が蕎麦打ちを独学で習得したことを告げ、独学の尊さを彼に諭した。“枠にはまらず、自分が創り上げたものが客の心を打つ”。蕎麦職人の技術は“己一つ”のものであったほうがよいという。

 同時に店主はこうも告げた。「そのかわり、教えられることは何でも教えましょう」――。その言葉で坂さんは、他の店にも修業に入らず、独学を貫く決心をした。“己一つ”、この言葉が坂さんの蕎麦屋のキーワードになった。以後、「せきざわ」の店主を師と仰ぎ、この教え、教えられる関係は10年以上、今も続いている。

 独学で蕎麦を学びつつ、坂さんはテレビで偶然見た和食店に修業の申し入れの手紙を書いた。幸運にもそこで3年の修業ができた。さらに5年をかけてタイプの違う3つのフランス料理店で勉強をさせてもらった。それは、蕎麦屋開業の資金を蓄えながらのものであった。

 日本ではフランス料理をフレンチと一言で総称してしまうが、フランスでは「オートキュイジーヌ」※2と一般的にはいわれる。坂さんはフレンチを学ぼ うとしたとき、クラシカルな料理、創作的な料理、それとビストロのような大衆的な料理など変化のある調理技術を習得したいと考えた。

コースは和の皿と洋の皿が交互に来る。写真左は小茄子の焼き浸し、煮汁が薄味になっても上掛けのとろろが味を締めてくれる。写真右は天使の海老のミキュイ(半生の意)、卵のフランが下に敷かれ、上にはトマトのソルべ。見た目にも美味しい。

※2 オートキュイジーヌ:これは伝統的でクラシカルなフランス料理の呼称で、1970年代に入ると日本の懐石料理を取り入れて、軽いソースや新鮮な素材を活かした調理などが流行し、これを「ヌーベル・キュイジーヌ」と呼んで、世界中に広まった。1980年代にはジョエル・ロブション、アラン・デュカスらが、「キュイジーヌ・モデルヌ」と呼ばれる、さらに新しい料理を創造している。フレンチも伝統的、創作的、大衆的な料理技術と細分化されている。