気がつく人は「思考の棚」を持っている

 さて、ここまでは私がテレビを見て得た「情報」です。「2011年9月11日、日米英の3つのテレビ局がそれぞれに異なった報道スタイルであった」というのは、ひとつの事実(=情報)です。別の言い方をすれば、私はそれぞれのテレビ局の報道スタイルを「知識」として得た、と言ってもよいでしょう。

 新たな「知識」を得ると「思考」がはじまります。すぐに浮かんだ疑問は、「これは各テレビ局の固有のスタイルなのか?それとも、テロが起こった場所とテレビ局の距離が関係しているのか?」ということでした。

 もしもテロが起こったのがロンドンであったなら、BBCがパニック映像を流し、CNNは早々にテロの背景分析をはじめたのでしょうか? BBCが冷静で分析的な報道を行なえた理由は、テロが他国で起こったからなのでしょうか? これが、私が興味をもったことでした。

 けれど、この問いへの答えはこの時点では見つけられません。万が一にも次にロンドンでテロが起これば、そのときにはわかるかもしれませんが、そのためにテロを待つなんてありえません。したがって、私のこの疑問に答えてくれる情報はずっと見つからないかもしれません。

 しかしここで重要なことは、このときに自分が手に入れた知識を、それをもとに考えたこと(=思考)の中に整理して格納しておくことなのです。そうすることにより、いつかどこかで必要な(=知りたいと思っている)知識を見かけたときに、すぐにその知識や情報の存在に気がつくことができます。

 よく、「同じものを見ても、いろいろ気がつく人と、ぼーっとしていてなにも気がつかない人がいる」というような言い方をしますが、この両者の差は、「知識を整理するための思考の棚をもっていて、次に知りたい情報を意識的に待っているかどうか」にあります。

「思考の棚」を用意し、どの棚にどんな情報が入っているのか、空いている棚はどんな棚で、自分はその棚にどんな情報を欲しているのか。そういうことを意識していないと、実際にそれらの情報に触れても気づかず見すごしてしまうのです。