その辻内よりも前に甲子園を沸かせた黄金左腕が、川口知哉(平安)だった。1997年の甲子園に春夏連続で出場し、切れ味抜群のカーブを武器に夏の大会で準優勝。インタビューでのビッグマウスぶりでも注目を集め、将来のエース候補として、オリックス、近鉄、ヤクルト、横浜の4球団からドラフト1位指名を受けた。だが、オリックス入団後はフォームを崩し、在籍7年で1軍登板9試合(0勝1敗)のみで引退。建設業で働いていた後、2010年から辻内と同じく女子プロ野球のコーチを務め、現在は兵庫ディオーネのヘッドコーチになっている。

 このふたりよりも甲子園で大きな歓喜を味わったのが、“トルネード左腕”島袋洋奨(興南)である。2年時から春夏連続で甲子園出場を果たすと、3年生となった2010年は史上6校目の春夏連覇を達成し、松坂大輔と並ぶ歴代5位の甲子園通算11勝、左腕投手歴代最多の年間102奪三振をマークした。だが、進学した中央大の2年時に左肘を故障して以降は不振。ソフトバンクにドラフト5位で入団し、1年目の2015年に1軍2試合に登板したが、その後は左肘の違和感が消えずに今年8月に遊離軟骨除去の手術を受けて10月に戦力外通告。現在は育成選手としての再契約が検討されているという状況だ。

 平成最初の夏を沸かせたのは、大越基(仙台育英)だった。威力抜群のストレートを武器に元木大介ら擁する上宮を破って決勝まで勝ち上がり、帝京との激戦の末に延長負けを喫したが、その熱投で多くの高校野球ファンの心を動かした。

 だが、プロからの誘いを断って早稲田大に進学するも半年で退部。アメリカへ渡った後、ダイエーから1位指名を受けてプロ入りを果たしたが、投手としては通用せずに1994年に13試合に登板したのみで未勝利のまま野手転向。高い運動能力で守備・代走要員として活路を見いだしたが、スターだった甲子園での輝きは最後まで取り戻すことはできなかった。2003年に引退後は教員免許を取得し、現在は山口県の早鞆高校の野球部監督を務めている。

 その他、正田樹(桐生一)も、2002年に9勝を挙げて新人王には輝いたが、その後は左肩痛に悩まされたこともあり、NPB在籍8年で25勝38敗、防御率4.70と甲子園優勝投手としては物足りない成績に終わり、現在は独立リーグ・愛媛でプレーしている。

 また、ケガでプロ入りは叶わなかったが、森尾和貴(西日本短大付)の存在も忘れられない。松井秀喜の敬遠騒動が起こった1992年夏の甲子園で全5試合完投4完封1失点というハイパフォーマンスで全国制覇を果たしたが、社会人野球の新日鉄八幡で肘や肩を故障し、29歳の時に野球部が廃部になってそのまま引退となった。

 彼ら以外にも、高校時代で燃え尽きてしまった投手は数知れない。それは本人たちの責任もあるだろうが、指導者などの外的要因も多いだろう。少なくとも、甲子園での連投が影響して肩や肘を壊す“悲劇”は今後、なくしていかなくてはならない。

AERA dot.より転載