また、世界中で利用者が急増しているWEB上の学校である「カーンアカデミー」もまた、そのような取り組みとして整理することができます。

 カーンアカデミーを積極的に取り入れている学校では、これまでのように「学校で授業を受けて、家庭で補助的な学習をする」という関係性が逆転し、「授業は家庭でカーンアカデミーを視聴し、どうしてもわからないところは学校で先生に教えてもらう」という構造になっています。

 当然のことながら、このような仕組みを採用すれば、学校ではそれぞれの子どもが、それぞれの苦手なところを先生に支援してもらいながら学習することになるわけです。

 さて、このような教育システムの変遷を弁証法の枠組みで整理するとどうなるでしょうか? まず、中世から近代にかけての日本で採用されていた寺子屋型の教育システムが、テーゼ=命題Aとなります。

 ところがこの仕組みは、明治政府の富国強兵政策に伴う国民皆教育の方針にはフィットしていません。効率が悪いからです。大量の生徒を集めて学習させるためには、工場のように教育を一律化してしまう方がいい。

 そのためには戸籍に基づいて、ある年齢になったら画一的に同じ内容を教えるという仕組みが必要です。これは最初の教育システムに対する反論として、アンチテーゼ=命題Bとなります。

 そして、現在世界中で起こっている教育革命は、再び「個別生徒の関心・進捗に合わせて、先生が教室で支援しながら学習を進める」という形態に回帰しつつあるわけですが、ここで注意しなければならないのは、この回帰が単なる「原点回帰」ではなく、デジタルの力を活用した「発展的原点回帰」だということです。

 テーゼが提示され、それに対するアンチテーゼが提示された後、両者の争点を包含する新しい命題=ジンテーゼが提案されたわけです。

 以前の寺子屋型教育システムは、どうしても効率性という点で問題がありました。現在、世界中で行われている新しい教育システムは、個人個人の進捗度合いや関心に応じた教育のきめ細やかさと、全体としての効率を両立するような仕組みとして提示されているわけです。

 ここで「歴史を知っている」というのが重要なポイントになってきます。なぜかというと、歴史が弁証法的に「発展的原点回帰」を繰り返して進展していくというとき、歴史を知らなければ、どのような「原点」へと回帰していくのかがまったくわからないから、予測できないのです。

 らせん状に「発展的原点回帰」を繰り返しながら変化していく社会において、どのような「原点」が復活してくるのかを予測できるようになる。これが歴史を学ぶことのとても大きな意味と言えます。