営業日報は、異臭を放つ「生ごみ」と同じ
それでは、なぜ営業日報は「キング・オブ・無駄」なのでしょうか? そしてなぜ、私のクライアントの営業の人たちは、営業日報を自然と書かなくなるのでしょうか?
営業日報をたとえると、家の中にある生ごみ、もしくは腐って嫌な臭いを放つ果物と同じです。
にもかかわらず、インターネットで「営業日報」をキーワード検索すると、「営業日報の書き方」とか、「営業日報のテンプレート集」を紹介するホームページに出くわします。あげくの果てに「キング・オブ・無駄」である営業日報を書くための情報システムまであります。
営業の仕事は、いったい何でしょうか?
ズバリ「目標予算を達成させること」です。
「営業は目標予算を達成しないと、1年間仕事をしたとは言えない!」と私はいつも言っています。したがって、マネジャーが部下の営業日報を見たら、部下が目標予算を達成させるために何をすべきかが理解できないといけません。
しかし、部下が「1日何をやったか」が書かれた営業日報をどれだけ眺めてみても、新しいアイデアは浮かんできません。
製造や物流部門であれば、「これくらいのものをつくる」「何をどこまで運ぶ」などの目標が1日ごとにあります。そのノルマを達成したかどうか、その過程で改善事項があったかどうかを業務日報で報告するのは重要です。
しかし、多くの営業は1年の中で目標予算を達成させます。それなのに、会社に帰ってきて、今日1日何をやったかと営業日報に打ち込んでいるうちに、なんとなく1日の仕事をやり遂げたような気持ちになります。
人は、1時間後に56%も忘れる
営業活動はロールプレイングゲームと同じです。プリンセスが捕われている城はどこにあるのか、ドラゴンを倒すにはどんな武器が必要なのか、最初はわかりません。
だから旅に出ます。いろいろな人と出会い、情報をつかみ、どこへ行くべきかを考えます。
ゲームをやる人で、毎日営業日報を書く人がどれぐらいいるでしょうか? そんな時間があるなら、もっとゲームをしたいと思うか、早く寝るかのどちらかではないでしょうか?
営業日報をつけなくても、ロールプレイングゲームをクリアできます。それと同様に、営業日報を書かなくても目標は達成できます。
今日1日何をしたかではなく、目標を達成させるために何が足りないのかを見ていくことが、大切なのです。
しかも人間は20分で42%、1時間で56%のことを忘れてしまいます(「ヘルマン・エビングハウスの忘却曲線」より)。お客様を5、6件回ったあと会社に帰り、今日1日何をしたか考えても、正確な情報は思い出せるわけがありません。
営業日報が100%必要ないのですから、営業週報は言わずもがな。1週間何をしたか、すべてを思い出せる人はいません。
私は前述したとおり、営業日報など「腐乱した果実」くらいにしか見ていません。ですから、「営業日報大好きマネジャー」に会うと、気持ちが悪くなってきます。