半年間は家で泣く毎日だった

 大学院の授業が始まるが、まったく話が聞き取れない。テープレコーダーに録音して後で聞き直すが、とんでもない時間がかかる。

「勉強ができそうなアメリカ人の子を見つけて、ノートを借りてみることにしました。すると、私が書き取ったことと全然違うことが書いてあったりする(笑)。これがまたショックで」

 当初、ジャーナリズムのコースに入ろうと考えていたが、自分には無理だと判断。広告マーケティングコースに変更した。だが、これが結果的に、後のキャリアに大きな意味を持つことになる。

「それでも英語には苦労しました。グループ作業もやっかいで。うまく発言ができないので、本当にやりたい役割ももらえない。こんな状態でしたから、最初の半年間は、よく家で泣いていました。一人だったら精神的に苦しかったと思います」

 やがて大学のオーケストラに入ったことなどもきっかけにアメリカ人の親しい友だちもでき、少しずつ、変化が訪れていった。転機は。意外な気持ちの切り替えだったらしい。

「英語がうまくなっていったというより、少なくとも開き直りはできるようになった、という感じでしたね。できる範囲でやっていくしかない、と。わからなければ何度も聞くなど、恥ずかしさを捨てて開き直れたのは、半年くらい経ってからでした。これが大きかった。ひとつの転機になりました」

 そして偶然にも大学院のコースを変更したことが、新たなキャリアづくりのきっかけになる。日本で苦戦を予想していた就職を、なんとアメリカでほぼ決めることができたのだ。広告会社のJ・ウォルター・トンプソンの日本法人だった。

「アメリカに2年いて、英語はほとんどできなかったところから、少ししゃべれるようになっていました。ところが入社して、営業担当としてクライアントと仕事が始まると、いきなり出鼻をくじかれるんです。あ、これは全然ダメだ、と思いました。ビジネスで使う英語は、まったく違うものだと気づかされました」