人生に「マジック」はないと知る。それが下積みの効用

――なるほど。冒頭の「下積み」のお話しに繋がってくるわけですね。しかし、いまの日本では、「職人世界の厳しい下積みなんて無意味ではないか。専門学校で技術を学んで、どんどん独立すればいい」なんて議論まで起こるようになりました。

小西 私は、人間が人間の社会で生きていくからには、下積みは必要だと私は考えます。どんなに才能があったとしても、下積みは絶対に必要です。下積みとは、社会人としての足腰を鍛えるということ。下積みがないと、やっぱり土台が不安定になるんですよ。下積みがあればあるほど、土台が強固になり、先ほど述べたような「土壇場で逃げ出してしまう」ということがなくなります。

――「社会人としての足腰を鍛える」とは、どういうことなのでしょうか。

小西 結論をいえば、「人生にマジックはない」と知る、ということですね。階段を1段1段、踏みしめて上っていかないと、段差が高くなったときに転げ落ちてしまう。下積みを経験せず、5段飛び、10段飛びで駆け上がる人は、いつか下まで転げ落ち、元の木阿弥となります。「人生は1段1段上がっていくしかない」と知る。逆にいえば、どんなに困難な状況も、問題を一個一個クリアしていくことによって打開できると知る。これが「社会人としての足腰を鍛える」ということです。

――小西さんからは、「ああ、この人は大変な下積みをされてきた人だな」「この人は下積みをすっ飛ばしてきた人だな」というのはわかるものですか。

小西 わかるときはわかりますね。下積みをすっ飛ばしてきた人は、話しているうちに、その話の「薄さ」「浅さ」が出てくるものです。足腰を鍛えられた人物は、発する言葉がやはり違います。腹にグッとくる、と言いますかね……。

 ただ、誤解してほしくないんですが、下積みに終わりなんてないんですよ。
 下積みというのは、最初の3年、5年で終わりではない。まったくの平社員のうちに下積みが必要なのはもちろんですが、主任になったら主任としての下積み、係長になったら係長の下積み、課長になったら課長の下積みがあるんです。

 私だって、いまも下積みをしているという認識でいます。私はいま約8000人の社員を抱えるテクスケム・グループの会長を務めていますが、会長には会長の下積みがある。これをしっかりとやり遂げることが大切だと、自分に言い聞かせているんです。

 主任になったり、課長になったり、社長になったりした途端に「ああ、下積みは終わったな」と考える人は、大概その後、失敗します。順法の精神を失って、保身のために粉飾したり、私腹を肥やしたりという人は、「最初の下積み」だけをがんばり、そこからの下積みをサボった人がほとんどです。

――「1段上ってもまた下積み」ということですね。

小西 はい。結局、人生で成功するのは「地道な人」「愚直な人」だと私は思います。下積みはこの真理を教えてくれる大切な時間です。昇進したり、何かのプロジェクトを成功させたりしたら、自分を振り返ってまた下積み。このプロセスを踏まない人は、どこかで化けの皮が剥がれて、転げ落ちてしまうような気がしますね。

 私は、マレーシアで徒手空拳で生きてきましたが、その経験から実感するのは、結局のところ、コツコツと下積みをできる人物というのは「強い人間」だということです。どんな境遇にあっても腐らず、常に明るい方向に向かって一歩ずつ歩み続ける。そんな人物は、周りの人々の信頼を勝ち得、必ず、その人なりの「道」が与えられる。どんな世界でも、どんな時代でも、サバイバルすることができると思います。

(了)