西條 国や日本赤十字は支援しない、行政は個人情報保護の名のもとで、そういう人たちがどこに住んでいるのか、ボランティアにも情報を出せないですから、あらゆるメディアに告知を出して、先方から申請してもらうようにしたんです。そうしたら、ものすごい人数の申込みがあって。

 もう12月に入っていましたから、一刻の猶予もないということで、仕分けや入力スタッフを募集することにしたんです。紙切れにボールペンで書いてあったりするので、判読するのにもかなり時間がかかることもあって、相当な人数を補強しなければならないと。それでツイッターで募集をかけたわけです。

「早稲田にこれて、エクセル使える方。仕事帰りにでも仕分けと入力のお手伝いできる方は、僕にメンション(@saijotakeo)してください。そしたらすぐにフォローして詳細をDMします」と。

 さらに、糸井重里さんにお願いしたところ、すぐにリツイートしてくださって。糸井さんは45万人以上のフォロワーがいますし、僕の連載を読んでいた人も多かったので、2日間で150人の方が集まってくれて、それであっという間に入力を終えることができたんです。

――まだまだ「自分に何かできることがないだろうか」と思っていた人がたくさんいたんですね。

【最終回】<br />「チャリティブックプロジェクト」は<br />いかにして生まれたのか?

西條 はい。ところが、予算がないんです。元々5000家庭分の支援金が集まったから、大々的に告知して支援を受けられない人に届けようとしたわけですが、結局1万3000世帯以上に配らなければならなくなってしまった。でも、これだけ困っている人たちを目の前にして「残念ながら今回はお届けできません」なんて言えない。それはもうたくさんの手紙を読んだスタッフ全員が思っていました。

 そんなときに、早稲田の夜間制MBAの「組織心理学」の受講生で、新井将能さんというトヨタレンタリース栃木の社長さんが授業後に、「1000万円寄付させていただきたいんですが」とおっしゃってくださったんです。本当にありがたかったです。それで2500世帯には配ることができました。それでも足りなかったので、PayPalでカード決済できるECサイトとツイッターの合わせ技で支援金を集めて、支援が必要と判断された1万3000世帯の方に届けることができたんです。

  これがその後届いた何千枚というお礼のハガキです。ここに掲載されているのはごく一部ですが。

――おお! こういうハガキを読んでいると、なんだか私までうれしくなってきますね。支援された方はさぞうれしかったでしょうねえ。