家族想いの幸村の遺言
でも、ふとしたきっかけで、真田幸村に関しては「辞世の句」と言われるものと、「遺言」らしき書き置きの存在を知りました。
(1)辞世の句といわれているもの
「定めなき浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候 我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候」
「このような不安定な世情ですから、明日のこともどうなるかはわかりません。私たちのことなどはこの世にいないものと考えてください」という意味だとされています。
真田幸村は大坂夏の陣決戦直前に、姉・松の夫で義理の兄である小山田茂誠にこの手紙を送りました。それが現代に残る真田幸村が書いた手紙だとされ、そこに記されているこの文章が幸村の辞世の句として紹介されることがあります。
(2)遺言ではないかといわれているもの
「何事もすえこと心に不叶き候共 御見捨無之やうに頼入候」
「私ども籠城の上、決死の覚悟でいるため、この世で面談することはもうないかと存じます。すえのこと、お心に叶わぬことがございましても、どうかお見捨てなきようにお頼み申します」という意味だとされています。
NHK・BS「浮世絵ツアー 中山道六十九次名所歩き」で紹介されており、私も今回初めて知りました。
この真田幸村の書状は、娘・すえの夫の石合十蔵宛で、大坂夏の陣の約3ヵ月前に書かれたとされています。中山道・長久保宿旧本陣 石合家に保管されていたようです。
すえは真田幸村の長女で幸村の最初の子どもでした。よっぽど可愛がっていたのでしょう。武流と智略に秀でた最強の武将、「日本一の兵」(ひのもといちのつわもの)と称され、強靭な側面ばかりがクローズアップされる真田幸村ですが、ひとりの父親として娘の将来を案じている家族想いの一面もあったのです。
姉に対する手紙でも、娘を想う手紙でも、家族に対する細やかな愛情を感じました。私はそんな人間・真田幸村がますます好きになりました。
時代は変われども大切な人に想いのこもったメッセージを遺したい、その気持ちを伝えたいというのはとても人間らしいことですね。真田幸村は「遺言の本質」を自然体で実践したのだと思います。そのあり方は、現代の遺言でも「付言」として大いに活かされるべきです。