この頃から「野球留学」という言葉が一般化した。甲子園出場を目指して遠隔地の高校に進学するというのは、実は戦前から行われていたが、それはごく一部の名門校に限られていた。戦後も、PL学園高や東海大相模高など、有名強豪のみが野球留学生の多い高校として知られていた。

 しかし、バブル期にはそうした名門校だけではなく、甲子園に1度も出場したことのない高校までが多くの野球留学選手を抱えるようになったのだ。中には部員のほぼすべてが特待生で占められている学校もあり、有力中学生をめぐる獲得合戦が起き、ブローカーが暗躍するなどかなり異常な事態となっていた。

 こうした弊害もあり、公立校復権の意味合いも兼ねて、高野連では特待生の規制に乗り出した。現在、特待生は1学年5人までしか認められていない(平成24年から行われている制度)。これと合わせて長期の不況が続いたことで、私立高校自体の人気が落ちてきた。

 一方、公立高校では学区が拡大され、広く県内から生徒を集められるようになった。また、授業料が無償化され、体育科を設ける公立高校も生まれたほか、スポーツ成績での入学も可能となるなど、公立と私立の違いがなくなってきた。その結果、バブル期に浮上した私立高校の一部は成績が低迷し、高野連の目論み通りに公立高校の復権は進みつつある。

昭和時代、ベスト4以上の
公立高校は何%か?

 かつて甲子園では公立高校が活躍した時代があったことをご存じだろうか。実は東京、大阪、愛知などの大都市圏を除けば出場校自体も公立高校が中心で、甲子園でも圧倒的に公立高校の活躍が目立っていた。戦後選抜大会が復活して以降、昭和63年までに42回行われている中で、優勝・準優勝した学校のうち公立高校はいずれも24校あり、その比率は57%と過半数を占めている。さらにベスト4に広げて見ても、全84校のうち62%にあたる52校が公立校だ。