「それぞれの地域にリーダーが不在になり、貼り付く職員が減ってしまった。結局、それぞれの地域や避難場所が、いつまでも孤立したままになった」(庄司氏)

 避難生活の様々な問題解決が長引いていた。また、仮設住宅の建設や移転といった、生活再建の初動の展開がなかなか見えてこない時期だった。

支援の網からこぼれ落ちた「在宅被災者」
「避難所被災者」との軋轢も

 避難所周辺の沿岸部の住宅地にも、「在宅被災者」「在宅避難者」といわれる被災者がたくさんいて、避難所の被災者たちとの間に軋轢が生じていた。

「避難所は、4ヵ月経っても非日常の典型的な場所。被災生活の長期化とは、非日常と日常が同居すること。月日が経つほど、難しくなる。お互いを思いやること、想像する力がなくなる」(庄司氏)

 在宅被災者は、持病や障害などの理由で、初めから避難所に入れることを諦めたり、何かのきっかけで避難所から追い返されたり、学校再開を見越して自ら気遣って避難所を出たりした人々だ。

 こだわって自宅に住み続ける選択をしている人もいれば、他に行き場がなくて、津波によって損壊した家に居るしかない人もいる。それぞれに致し方ない理由があった。

 多くの在宅被災者が、津波にぶち抜かれた1階部分を、ブルーシートや拾ってきたがれきで応急手当し、2階に寝泊まりしていた。私が訪ねた湊町のある一家は、震災から3ヵ月以上が経つのに、1階のドアも窓もないままの建物に住んでいた。

 避難所にいれば、食事や物資配給、風呂・洗濯などの、行政やNPOが提供する支援を一通り受けられる。一方で、在宅被災者は支援の網の目からこぼれ落ちていた。

避難所となっていた石巻市立湊小学校。国内外の支援団体が駆けつけ、様々なサービスを提供していた(2011年7月、石巻市)
Photo by Yoriko Kato

 町は暮らしの機能が丸ごと失われた状況のまま。何キロ歩いても店ひとつない町と化した場所に暮らす在宅被災者が、食料や物資の不足に困ったり、知人を訪ねたりという用事で避難所に出入りしていると、避難所の人たちが「出て行け」と追い出す。震災前までは、みな、同じ地域に住んでいた住民たちが、異常な関係に陥っていた。

「うちの子どもが、友達のパソコンを直しに避難所に行ったのに、出て行かないと警察に通報する、と言われたんだっちゃ。もう二度と行かないって」