マンションに帰ると、デスクに直行してパソコンのスイッチを入れた。

 パソコンが立ち上がるまでにコーヒーメーカーをセットして、コートと上着を脱いだ。

 キーボードの上を指がピアノの鍵盤を弾くように走って行く。何度かトイレとコーヒーを取りに行くほかは、キーを叩き続けた。

 窓の外が明るくなり始めたころ、森嶋はパソコンを閉じた。

 シャワーを浴びて着替えると、一睡もすることなくマンションを出た。

 省内に入ると、自分の席に着く前に局長室に向かった。

 気軽に話せる相手ではないが、躊躇している時間はなかった。

 ノックと同時に、「いいよ」という返事が返ってきた。

 国交省総合政策局局長矢島は、ノンキャリアからの叩き上げだ。省庁改編と霞が関キャリア制度解体が叫ばれたときにコースに乗ったと言われている。

 森嶋はロバートとの関係と、昨夜までのいきさつについて再度話した、すでに知っているだろうが、この前置きがなければ、これからの森嶋の話など聞いてもらえない。

 話し終わると矢島は顔を上げて森嶋を見つめた。

「それで、きみはどうすればいいと思っているのかね」

 森嶋はデスクの上にファイルを置いた。

 矢島は数枚に目を通した後、デスクに戻した。

「アメリカが求めていると言うのは、このことだというのかね」

「私はハーバードで国家と都市経済の論文を書きました。平城遷都、平安遷都を含めたものです」

「近代のものも考えているのかね」

「ワシントンDCとニューヨークの関係については述べています。その論文には、ロバートも興味を示していました」

「どう言うことかね」

「昔、国交省には『首都機能移転室』がありました。その復活はどうですか」

 矢島は何を言い出す、という顔で森嶋を見つめている。

「アメリカは日本発世界恐慌回避の具体的な方策を求めています。この案は、一つの方法です」

「近いうちに大地震が起こる東京を避けて遷都を行う。きみはそうすべきだと言うのかね」

「アメリカの求める一つの具体案にはなると思います」

 矢島は考え込んでいる。

 現在、各省庁ではアメリカを納得させる様々な案が出されているのだろう。だが今まで財務省主導で考えられてきたなかで、唯一、国交省が主導権を握ることができるものだ。いや、財政的裏付けが必要なものだが、どうせ実現は不可能なことだ。だったら、先に提出しても損にはならない。

「総理とハドソン国務長官との通訳を務めたのもきみだったね」

「国務長官は具体的な案を強く求めていました。これは大統領の意思だと」

 再び矢島は考え込んだ。

「私の一存ではなんとも決めかねることだ。しばらく時間が必要だ。きみには引き続いて、この件について調査しておいてほしい」

「分かりました」

 森嶋は一礼して部屋を出た。

 ドアが閉まる寸前に振り向くと、ドアの隙間からレポートに屈み込んでいる矢島の姿が目に入った。

(つづく)

※本連載の内容は、すべてフィクションです。

※本連載は、毎週(月)(水)(金)に掲載いたします。