現状、日経平均株価は1万円台に乗せたが、それでも1990年の3万9800円の最高値から比べると約1/4の水準。しかし、今の生活を振り返ってみれば、20年前に比較して格段に便利で豊かになっている。ファンドマネジャーとして5500人以上の社長と会ってきた藤野英人さんと、人気ブロガーのちきりんさんの特別対談・第2回は、日経平均株価のカラクリについて語ってもらった。
社会人1年目は不本意な配属だったけど、
それが今の自分を作ってくれた(藤野)
ちきりん 今回の藤野さんの著書には「日経平均は死んだ」とあったんですが、藤野さんは、昔から日経平均に採用されるような企業は投資対象にしてなかったんですか?
藤野 僕はたまたま大学卒業して最初の会社で、日経平均に採用されるような大型株ではなく、時価総額の低い、中小型株に投資する部署に配属されちゃったんですよ。だから日経平均株価の採用銘柄よりはもっと小さな企業の調査をしていました。当時はすごく不満でしたけど、今考えるとそれが今の自分の基礎になっているなと思います。
その頃の僕は、今の自分から見るととても嫌いなタイプでした。大企業志向が強くて、一流企業とか一流大学卒が偉いとか、そういう価値観をすごく持っていて。だから、中小企業を担当することになって、すごいガッカリ感がありました。たとえば、マツモトキヨシが上場する時なんて「なんだ、この社名は」と(笑)。冷静に考えれば人の名前ですからね。今でこそ社名の違和感がなくなりましたけど、当時は「こんな名前の会社を調査するのか……」って思いましたね。
ちきりん 大企業志向って、学生とか、若いときはみんなよく陥りがちですよね。
藤野 そうなんです(笑)。でも、私はガッカリしながらもきちんと仕事をしようと思って、中小企業やベンチャー企業にできるだけ会社訪問しました。また、逆に社長の方も僕に面会に来るわけですよ。投資してもらおうとしてアピールをしに来るんです。
1998年くらいまでは、日本企業の株式公開というのは主に相続対策でした。標準的なケースとしては、創業者は30歳で起業して、60歳でIPO(株の新規公開)をするんです。それは数字にも表れていて、創業して平均28.8年くらいで株式公開するというデータがありました。つまり上場時の社長の年齢は60歳前後で、名を遂げた人たちの最後の花道だったんですよ。だから、IPOといいながら入場門じゃなくて退場門だったんです。
ちきりん なるほど、退場門ですか。自分の創業した会社の株を少しでも高く売り抜けて、あとは悠々自適に老後を送ると……。
藤野 そうです。そうした社長たちは「ゴールにたどり着いた、もう退場だ」という意識だから、今後の展望についての話はあまりなくて、「私がいかに成功したか」という自慢話が多いんですね(笑)。
でも、とはいえ、そういう社長たちに毎日のように接しているうちに、だんだん彼ら・彼女らに魅力を感じるようになってきたんです。当たり前の話ですけど、会社を興して、それを大きくして成功している人たちばかりだから、海千山千の人たちばかりで、ある意味ものすごく存在感があって。さらに、彼ら、彼女らには人を引き付ける魅力がすごくあるわけです。いろいろな人がいて、いろいろな仕事があり、いろいろな人生があって、それぞれ面白い。
ちきりん 何十年も企業を経営してきたというのはスゴイことですからね。
藤野 そして、この海千山千の創業社長たちが、若造の僕に対していろいろ熱心に話しをしてくれるわけです。彼ら、彼女らからすると、若い僕に人生の体験を伝えてあげようという意識は全然なくて、私から本気でお金を引き出そうと手練手管の数々を繰り出すんです。
今思うと、それこそ僕にとって最高の教育だったんですね。結果的にこれを何年も続けるうちに、知らず知らずにベンチャーマインドが僕の中に打ち込まれていったんです。それで、私は投資するときには、会社の規模ではなく、成長するかしないか、という基準で判断するようになったんです。
ちきりん 彼らからベンチャーマインドを叩き込まれているなというのは、当時から意識されていましたか? ずっと後から、振り返ってそう感じるのですか?
藤野 そうですね。振り返って、でしょうか。当時は全然意識していませんでしたが、毎日、エネルギッシュな社長さんたちにお会いしているうちに、知らないうちに意識が変わっていったんですね。