新たな成長の道を見出すには
会社の存在意義を考えること
藤野 たとえば、IBMなんかこの10年間で事業部門の4割から6割を売却して、新しい事業に組み替えたわけですよね。その時に、自分たちがパソコンやハードディスクの製造をする必要があるのかどうかという根本的な議論をして、その結論として他の企業に売却する決断したわけです。
その前提として、将来はどんな社会になるのか、その中で自分たちはどう社会に貢献できるのかを議論し、自分たちはITサービスの企業として社会に貢献していくのがベストなんじゃないかという結論に達して、ハードの事業は中国の企業などにどんどん委ねることにしたわけです。
ちきりん だから、アメリカの大企業はどんどんリバイバルして、それを組み込んでいるNYダウは長期的に見て比較的堅調な動きが続いているのですね。
藤野 そうです。この10年を振り返っても、アップルがよみがえり、時価総額40兆円企業になるということが起きているわけですよ。「会社が大きくなると成長限界に達する」という意見もありますが、自分たちの在り方を常に突き詰めて考えていけば、さらに良くなるための成長の道筋が見えてくるものなのだと思います。
ちきりん なるほど。あと、大企業と中堅以下の成長企業の違いについてはこういう見方もできると思うんです。人間も企業も一定水準の満足ができる状態になってしまうと、そこからさらに成長するためのドライブをかけていくのは、そこまでの成長への道のりより大変なのではないでしょうか?
たとえば、企業の規模が小さい時には、大きくなりたいというごく自然なモチベーションで成長へのドライブがかけられるんですが、一定の規模になると社員も社長も満足してしまいがちです。そうなると、意識的に、ある意味では“必死に”目指すべきゴールを設定して、言語化して、常に経営者が語ることが必要になる。企業規模が大きくなると、意識的にそういうことをしないと停滞期に入ってしまう。
実は個人も同じで、貧しかった時はみんな何もいわなくても必死で働きましたが、一定水準まで豊かになると、ビジョン的なゴールのもてない人は必死で働く意義を維持できなくなってしまいますよね。
藤野 確かに、そうですね。
ちきりん しかも、組織が大きいと一定の売り上げや利益があがることは当たり前になるので、その先に行くためには、世界を良くするとか、貧困を解決するとか、より壮大な夢を語らないと、成長へのドライブがかけられなくなってくるのかなと思います。だから、より高い次元の社会的使命を会社のビジョンとして掲げるという、いわゆる「ビジョナリー・カンパニー」というコンセプトは、一つの経営手法として大企業にとってはとても重要なわけですよね。ビジョンを語ることが「カリスマ経営者の戯言」ではなく、大企業経営の手法なんだという認識が、日本の大企業経営者には理解できていないように思います。
藤野 そうです。それは重要なポイントだと思います。