自分の内面を信じて貫けば「イノベーション」が起こる

 「好きな絵を選ぶ」のと「リーダーシップ」がどう結びつくのかと不思議に思われた方もいるでしょう。しかし実際、リーダーの仕事とは、好きな絵を選ぶようなものなのです。

 AとBとC。事業の候補が3つあったときに、どれにするかを決めるのがリーダーの仕事です。しかし今の日本には、「経営企画はなんと言っているんだ」「コンサルティング会社はどの事業がいいと言っているんだ」「財務分析の結果を見せてくれ」なんて情報ばかりを求めて、決められないリーダーが増えています。

 このようなリーダーは、仮にすべての情報がそろったとしても、自分で決めることはできないでしょう。そうして優柔不断に迷っている間に、「なんとなく、このビジネスはいいと感じる!」という直感で決断するシリコンバレーの企業に、市場のシェアをかっさらわれるのです。

「決断のスピードが遅い」というレベルの話ではなく、「決断の軸を外側に求める癖がついていて、自分で決断できない」のです。寂しい話です。

 自分の好きな絵が選べない。その理由は「自分の価値観と世間の評価がずれてしまっているのが露呈するのが怖いから」なのでしょう。

 しかし、考えてみてください。ありとあらゆる情報を集めて、世の中ですでに評価のいいものばかりを選んでいたら、イノベーションなんて起こるわけがありません。イノベーションとは、世の中からすると「あんなの、ものになるのか」といわれているアイデアを「これだ!」と選び、信じぬくことです。まさに「自分の好きな絵を選ぶ」ことなのです。

 今でこそ日本中で展覧会が開かれている伊藤若冲ですが、少し前までは埋もれた存在でした。若冲の評価が確立されるずっと前から、アメリカの美術収集家であるジョー・プライスさんは若冲の絵に魅せられ、「彼の絵はすごい。面白い」と感情の赴くままに買い漁っていました。すると世間が勝手に若冲を再評価し始め、勝手に値段が上がっていきました。

専門家が課題視、「好きな絵」すら選べない日本人伊藤若冲「紫陽花双鶏図」1759年

 プライスさんの「すごい」「面白い」という、内面から沸き立った感情に対して、世間の評価はあまりにも遅い。世間の評価なんて、その程度のものなのです。

 世の中は情報があふれています。しかし自分の感情は、自分だけのものです。「自分の感情に素直に決断する」。その先にこそ、現在日本が抱えている閉塞感を打破するヒントがあるはずです。

美術作品を見ているとき、誰もが「名探偵」になる

 私は子どものころ、祖父が持っていた山小屋の中で『世界美術全集』(平凡社)を見つけ、たまたま開いたページにあったフランシスコ・デ・ゴヤの「巨人」に心を動かされたのをきっかけに、美術の虜になりました。

 大学時代、初めて本格的に美術史の授業を受けたときは「こんなに楽しい勉強があるのか」と、夢のようでした。教室を暗くして、スライドを使って、実際の作品を1枚1枚映していく。隣の教室では「法学I」や「経済学原理」といった講義が行われている中で、私がいる空間だけが特殊で、神秘的に感じました。

 美術作品を見るとき、私は探偵になったような感覚に陥ります。

 美術作品は、描かれているものすべてに意味があります。シャーロック・ホームズが殺人現場を見て、数少ない情報からあるストーリーを紡いでいくように、美術作品に描かれている一つひとつの意味を味わっていくのです。

専門家が課題視、「好きな絵」すら選べない日本人ニコラ・プッサン「アルカディアの牧人たち」1638年頃

 たとえば、『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』の143ページに出てくる、ニコラ・プッサンの「アルカディアの牧人たち」。絵の中の彼らは、いったい何を見ているのでしょうか。

 答えは「石板」。「2001年宇宙の旅」に出てくるモノリスのような石板を見ているのです。
 「アルカディアの牧人たち」は、この石板に何が書かれているのかを彼らが議論している場面を描いたものです。

 石板はとても細かく描かれています。そのため、絵の中の彼らが「何を見ているのか」を即座に判断するのは難しいかもしれません。しかしじっくりと見れば、そこにあるのは確かに石板です。そしてこの石板は、作者であるニコラ・プッサンが描かなければ、絶対に絵の中に入ってこなかったものです。

 わずかなスペースにわざわざ描いたからには、そこに絶対、意味がある。ニコラ・プッサンはなぜ、ここに石板を描いたのか――。

 そのようなことを想像するのが、私は大好きです。