ところが大谷家は違う。たとえば家に帰ってからは一対一の練習は行わず、子どもが自主的に練習するのを見守るスタイルをとっていたという。まだ体が成長段階にある子どもに無理をさせると怪我をするという考えを徹さんが持っていたからだ。

 その代わり父と子は「野球ノート」と題する交換日記のやり取りを続けた。大谷が試合での反省や今後の課題を書き、徹さんがアドバイスを記す。そこで徹さんが意識していたのは、失敗はあって当然、大切なのは次に何をすれば課題を克服できるかを考えさせることだったという。周囲の雑音に惑わされることなく、自分の現在地を正確に把握する大谷の能力は、この頃に培われたようだ。

 本書には大谷自身の言葉もふんだんに収められている。面白いのは、大谷がメジャーに行った理由である。清水の舞台から飛び降りるような決死の覚悟かと思ったらそうではなかった。大谷は、自分が不完全だからこそ、メジャーに行くのだという。

 大谷にはそもそも「メジャーに挑戦するのは日本でトップに登りつめた人間」という考えがない。今行くことで、今以上のことが身につけられると思うのであれば、迷わず新しい環境に飛び込めばいいと考えるのだ。

学び続けること、変化を繰り返すことこそ
喜びを見出す姿勢が参考になる

 大谷の言葉を読みながら気がついたのは、「アウトプット」について述べている場面がとても多いということだ。学んだことを試し、失敗したらまた別のことを試してみる。そのプロセス自体が楽しくて仕方ないらしい。しかも誰もやったことがない二刀流の試行錯誤だ。「二刀流への挑戦は間違っている」と意見するプロ野球関係者は多い(なぜかかつて名選手だったOBほど多い)。だが大谷に言わせれば「やったことが正解」だという。やってみたからこそ、わかったことがたくさんあるからだ。

 学び続けること、変化を繰り返すことにこそ喜びを見出す大谷の姿勢は、人生100年時代を迎える私たちにとって大いに参考になるのではないだろうか。特に長年サラリーマンをやってきた(ぼくのような)劣化したおっさんたちこそ大谷の言葉に学ぶべきだ。全員正座して大谷に弟子入りをお願いしよう。

 ところで、日本ハム時代に投手コーチだった厚澤和幸氏は本書で、ダルビッシュ有と大谷翔平の凄さをスーパーカーになぞらえている。ただ、同じ200キロで走るスーパーカーでも、ダルビッシュが路地裏の細い道でも走れる繊細な技術を持つのに対し、大谷はまだ広い高速道路を走ることしかできないという。そんな大谷を評して厚澤氏は、まだ能力の「50%しか出し切っていない」と恐ろしいことを言っている。

 この先がさらにあるのだとすれば、いったいどれほど凄いプレーを見せてくれるのだろう。ぼくたちがいま目にしている光景は、まだ奇跡ですらないというのか。大谷翔平の可能性は尽きることがない。だがもしかしたらその可能性は、私たちの眼の前にも、ひらかれているのかもしれない。

(HONZ  首藤淳哉)