「500万人の帰宅困難者か。前にもこんなことがあったな」
「東日本大震災のとき。都内は人で溢れてた」
「そうだったな。俺は役所に泊った。腹を決めればかえって仕事に集中できた」
「今ごろ、役所じゃ大騒ぎよ。部屋中、メチャメチャでしょうね」
「しかし、これが東京直下型の地震か。なんだか気の抜けたビールみたいだ。こんなこと言っちゃ、不謹慎か」
「これで終わりよね。地震の恐怖から解放される。私たちのチームも解散になるのかしら」
2人は新宿通りを東に向かって歩いた。
四谷に着くまでに思っていたより数倍の時間がかかった。車がぶつかって電柱や街路樹が倒れたり、歩道橋の一部が崩れ、通行不能になっていたりした。そんなとき、立っている警察官に迂回路を行くように指示された。
人の流れの大半は2人の向かう方向とは逆向きだ。都心から東に向かっている人たちが多かった。新宿駅や渋谷駅を目指しているのだろう。
優美子の歩みが遅くなった。疲れが出てきたのだ。
「食事の後だったら良かったのにね。昼にサンドイッチを食べただけ」
「どこかに自動販売機はないか。水を買っておこう」
優美子が目で指す方を見ると行列が出来ている。その先頭に自動販売機がある。
「私は並ぶ気なんてないわよ。近くにコンビニはないの」
「同じことだろ。レジで30分も並ばなきゃならない。それに、もう何も残ってないだろ」
2人は小学校の前を通りかかった。
新宿区役所の名前が入った腕章をした男が数人、通りを歩く人たちに水のペットボトルと乾パンの袋を配っている。
「小学校の体育館が避難所になっています。まだ空きがありますから、帰宅の困難な人は休んでいってください。無理をすると危険です」
区役所の人が呼びかけている。
2人はもらった水を飲み、乾パンをかじりながら新宿通りを歩いた。
「東京都では都庁の地下や区役所に3万食の非常食と水を備蓄しているそうだ。毛布や保温シートもある。有り難い話だ」
「それに引き換え国は――ってことね。官邸じゃ、今ごろ国家安全保障会議ってのが開かれてるはずね」
「しかしこれじゃ、いくら招集をかけても集まれないだろ」
「だから総理官邸と議員宿舎があるんじゃない」
非常招集があると30分以内に駆けつけることが出来るように特別職員宿舎がある。
四谷に出ると駅前の交差点には、乗り捨てられた車と帰りそびれた人で埋まっている。若者が多く、路上に輪になって座り込んで騒いでいるグループもいた。
駅の改札の前では、寒さのため足踏みをしたり、どこかでもらってきた毛布を頭から被って座り込んでいる者も多い。時折り彼らが路上に飛び出してくる。まだ、かなりひどい余震が続いているのだ。
「麹町より永田町に回りましょ。ちょっと遠いかもしれないけど。皇居周辺は暗いと思う」
優美子の言葉に従って赤坂見附に向かって歩いた。国会議事堂に近づくにつれて、警察車両と機動隊員が目立つようになった。歩いている人よりも機動隊員のほうが多い。地震に乗じたテロを警戒しているのだろうが、どことなく異様な光景だった。
「戒厳令みたい。戦時中ってこんなだったのかしら」
優美子の呟くような声が聞こえ、歩く速度が速くなった。
国交省のビルに着いたのは夜中の12時を回っていた。
普段なら一時間程度の距離を4時間以上かけて歩いたことになる。
「私は財務省に行ってみる」
優美子は財務省のある潮見坂のほうに歩いて行く。
森嶋は優美子を見送った後、国交省の入っている合同庁舎三号館に向かった。
(つづく)
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