東日本大震災の被災者救助に威力を発揮
例えば、患者を収容した救急車の救急隊員が手にしたモバイル端末からツイッターで患者の容態と症状に加えて受け入れ可能な病院を求めると、その救急車のアカウントをフォローしている病院の一つが受け入れ可能と返す。
あるいはフォローしている病院で受け入れ可能な病院がない場合は、フォロー外の病院にも情報をシェアして(要は今で言うリツイートで拡散して)受け入れ可能な病院を尋ねるといったことも可能だと考えた。
通常は、車載無線で一つずつの病院に受け入れ可否を尋ね回るのだが、受け入れ可能な病院がなかなか見つからずたらい回しになるというのは日本と同じで、米国でも共通の問題だという(ジャック・ドーシーはニューヨーク大学を中退後、オークランドでタクシーや救急サービスを派遣する会社を経営していたことがある)。
もちろん、現実には救急車で使用されることはなかったが、この思想は2011年3月11日の東日本大震災の被災者救助に威力を発揮した。気仙沼市で被災した障害児向け福祉施設の園長と施設の乳幼児から同じ場所に避難していた老人までの400人以上が、ツイッターをきっかけに東京消防庁によって救助されたという話を覚えている読者もいるだろう。
これは、被災して気仙沼市の中央公民館にいた園長がロンドンに住む長男に携帯メールで「火の海 ダメかも がんばる」とメールを送り、そのメールを受けた長男がロンドンからツイッターで救助を依頼したツイートが拡散され、それが当時の猪瀬直樹・東京都副知事の目にとまったというエピソードだ。
これに限らず、震災時に電話もメールも通じない中でツイッターだけは通じたという話が広がり、ツイッターの日本での普及のきっかけとなった。
ジャック・ドーシーは様々なユーザーが自らの今のステータスをシェアすることによって、ツイッターはまるで地球上のすべての動きをモニターする心電図のようなものになるのではと想像したという。
ツイッターは多くの命を救い、民主革命を引き起こし、まさに「What's happening?」の文字どおり、今この地球上で起こっていることを、そのまま映し出すものとなった。